困ったときだけじゃない神頼み

神社参拝だけでなく、スピリチュアルな分野も使って開運する方法を紹介しています。

やりきったか

私達は、前世に積んだ徳の分だけ無条件の幸せがあり、前世に積んだ劫の分だけ不条理な辛苦を味わいます。

 

そうしている間に、御魂を磨き、徳を積んだ分、プラスアルファの幸せを享受し、積んだ劫は解消しなければなりません。

 

今世に解消せず、「逃げ切った」 としても、その分は来世に持ち越されますから、積んでしまった劫は、なるべく今世の内に解消しておきましょう。

 

こうして、良いこともあれば辛いこともあって、この世を終えていくわけです。

 

50勝50敗で、可もなく不可もない人生。

 

51勝49敗で、二つ勝ち越せば幸せな人生だったと言えるでしょう。

 

ところが、やりたいことをやらずに終えたら、後悔が残ります。

 

御魂を磨き、徳を積んだと自覚する人生だったとしても。

 

逆に、御魂を磨いたつもりも、徳を積んだつもりも全く無かったとしても、やりたいことをやりきったら、満足して、あの世に帰れます。

 

ゆったりと椅子に腰かけて、深呼吸してみてください。

 

そして、「ああ、よかった。」 と、声に出してみてください。

 

そういう気分で、あの世に帰りたいと思いませんか。

 

さあ、片っぱしから、やりたいことをやっていきましょう。

 

それを阻む者は全て敵だ、くらいに思っていてもいいでしょう。

 

やりたいことを、口に出してはいけません。

 

周囲の人、特に家族はドリームキラーです。

 

誰もが、阻止しに掛かってきます。

 

あなたのチャレンジを快く応援してくれる人は、一人もいないと思って間違いありません。

 

誰かを踏み台にしたり、誰かの不幸の上に成り立つものでない限りは、やりたいことをやりきってください。

 

この世の人は敵ですが、御先祖様や神仏は、応援してくれますよ。

 

 

 

 

 

 

卯子酉神社

岩手県遠野市下組街二にあります、「卯子酉 ( うねとり ) 神社」 を、紹介しましょう。

 

御祭神は、卯子酉大明神。

 

創建は、江戸時代とされています。

 

遠野市を中心に「卯子酉様」 と呼ばれる祠が各所にあり、ここは最も有名なところです。

 

現在、境内の左手奥に小さな池がありますが、元は、大きな淵だったそうです。

 

淵の主に願掛けすると男女の縁が結ばれたと、遠野物語拾遺に紹介されています。

 

祠の前の木の枝に、左手だけで赤い布を結びつけることができたら、縁が結ばれるそうです。

 

無人の販売所があって、一枚百円で赤い布が手に入ります。

 

そこに名前と願い事を書いて、枝に結び付けます。

 

ここは、恋愛成就のパワースポットとして有名になったため、県外からも多くの人が参拝に来ます。

 

それで、木の間に布を結び付けるためのロープが、いくつも張られています。

 

異様というか、不気味というか。

 

恋愛における執着心は、ひときわ強いものです。

 

それがこびり付いていますから、清々しくはありませんね。

 

興味のある方は、お参りしてみてください。

 

ここに執着心を置いて帰れば、願いが叶い易くなるでしょう。

 

祝詞を唱えるのは、難しい

大祓祝詞のような長い祝詞は、暗記するのは難しいものです。

 

また、無理に暗記する必要も、無いでしょう。

 

神職でも、読み上げているくらいですから。

 

問題は、奏上する時の意識です。

 

ある程度記憶してくると、唱えている内に、心が別のところに行ってしまいます。

 

これからの予定とか、昨日の失敗とか、全く関係ないことを考えてしまいます。

 

心は、あっちにフラフラ、こっちにフラフラするのが普通ですから、仕方がありません。

 

祝詞の中盤に差し掛かる頃には、神様に対する気持ちなど、微塵も無くなっています。

 

祝詞奏上が、日課になり、ルーティーンになると、このような症状が出てきます。

 

これではいけません。

 

また逆に、大祓祝詞天津祝詞は、それ自体完成したものですから、自分の意を込めるのも良くありません。

 

祓ってやるとか、浄化するのだとか、変に意識してもいけません。

 

自然に、唱えることが理想です。

 

それが出来る人が少ないから、神様と交流できる人が少ない、とも言えます。

 

体得するには、練習しかありません。

 

数をこなす以外に、方法はありません。

 

是非、生活の一部に組み込んで、身につけてください。

 

 

お供え物の向き

神棚や仏壇にお供えをするとき、その向きに注意して下さい。

 

神棚に供える時は、神様に向けて捧げる形です。

 

よその家を訪問した時に、手土産やお歳暮などを差し出すのと同じです。

 

仏壇では、逆になります。

 

自分の方に向けて、お供えします。

 

これは、御本尊様にお供えした瞬間、御本尊様が衆生に授けて下さる、との考え方からです。

 

御本尊様は、宗派によって違いますが、大日如来とか阿弥陀如来など、仏壇の中央に祀られている仏様です。

 

仏壇とは、御先祖様を祀るものだと勘違いしている方が多いですが、メインは御本尊様です。

 

先祖の位牌は、「置かせてもらっている」 だけです。

 

それはともかくとして、仏壇にお供えする向きは、しっかり覚えておきましょう。

 

よその家の神棚にお参るすることは、あまり無いでしょう。

 

しかし、仏壇にお参りすることは、よくあることです。

 

逆向きにお供えしたところで、「反対向きですよ」 と言われることはありません。

 

ただ、「あの人は無知なんだ」 と、思われるだけです。

 

よそで恥をかかないようにと、教えてくれることも無いでしょう。

 

 

 

 

基本は神棚

開運したければ、神棚は必須です。

 

吉方位旅行やスピリチュアルな手法で、開運することはできます。

 

しかしそれは、自分が持っている徳分が、幸せに変わっただけです。

 

徳分という貯金を下ろしたようなもの、と言えます。

 

ですから、徳分が乏しいと、いくら技を駆使しても、開運できません。

 

生まれてから好き放題の人生を送ってきて、今まですいすいと世の中を渡ってきた人は、かなり徳分を消耗しています。

 

多額の寄付などで徳を積んでいなければ、もはや貯金0の状態です。

 

開運の為には、神様に縋るしかありません。

 

神棚をきちんと祀り、神社参拝を続けましょう。

 

神社では感謝の祈りと、今後の誓いを立てて、精進努力の日々を過ごします。

 

やがて、御神徳という徳分が授かります。

 

持っている徳分に、御神徳が加わりますから、大きく開運することが出来るのです。

 

また、自宅に神棚があれば、神様に氣を向ける機会が増えます。

 

いつも神様に見られているような気がして、気が抜けません。

 

神社で立ててきた誓いを反故にすることは、できません。

 

それで精進しますから、実力が付いてきます。

 

その結果、単に開運して「いいことがあった」 で済んでしまうことなく、幸福な人生が続くでしょう。

 

開運したい方は、是非、神棚をお祀り下さい。

祓われた

祈り方の一つに、完了形で祈る、というものがあります。

 

その、最も簡単なのが「祓われた」 です。

 

気の悪い場所、例えば、葬儀場、火葬場、病院、墓地、事故や自殺のあった場所などに行った時、「祓われた」 と言えば、祓えます。

 

ただ、「祓われた」 だけで構いません。

 

またこれは、自分が悪い気を発してしまった時にも、有効です。

 

運転中に割り込まれたり、煽られたりしたら、瞬間的に腹を立ててしまうでしょう。

 

つい、悪態を吐いてしまうかもしれません。

 

そんな時、「祓われた」 と言って、すっきりしましょう。

 

簡単ですから、是非、活用して下さい。

 

ただし、これがあるからと心霊スポットでも大丈夫かというと、保証できません。

 

いかなる理由があろうとも、心霊スポットに肝試しに行くのは、やめてください。

 

「祓われた」 は、日常生活で気軽に使いましょう。

今日は土用明け、明日は立夏、端午

気がつけば、今日で春土用が開けます。

 

やれやれ、なんて思っている方は、少ないでしょうね。

 

建設や土木関係の会社を経営している方でもない限り、春土用なんて、話題にもしないでしょう。

 

一般の人にとっての土用は夏土用だけで、それも丑の日にウナギを食べること、だけです。

 

ともあれ、一つの節目ではあります。

 

明日は、二十四節季の第7、「立夏」 です。

 

七十二候は

 

初候・・・蛙始鳴 ( かえる はじめて なく ) : 蛙が鳴き始める。

 

次候・・・蚯蚓出 ( きゅういん いずる ) : 蚯蚓 ( みみず ) が地上に出てくる。

 

末候・・・竹笋生 ( ちくかん しょうず ) : 筍が生えてくる。

 

暦の上では、明日から夏です。

 

世の中は、相変わらずのコロナ騒動ですが、季節は確実に移っています。

 

そして明日は五月五日、端午の節句です。

 

菖蒲の節句とも言われますが、新暦ですと、やや早いですね。

 

やはりこういうものは、旧暦の方がしっくりきます。

 

地方に行くと、旧暦でもなく、一か月遅れで節句を祝うところが多くあります。

 

その方が、季節感があってよろしいでしょう。

 

私は、新暦と旧暦、両方を祝います。