困ったときだけじゃない神頼み

神社参拝だけでなく、スピリチュアルな分野も使って開運する方法を紹介しています。

まごころが無くても

真心は、ひらがなで「まごころ」と書く方が感じがいいので、これからはひらがなにします。

 

神様に通じる祈りは、まごころが必要ですが、結果に関しては、必ずしも必要ではない様です。

 

以前、アメリカの大学で医学を教えているディーパック・チョップラ博士の実験を、紹介しました。

 

かつて博士は、祈りに効果が有るのか無いのかを、末期の癌患者を対象に実験しました。

 

癌患者を二つのグループに分けて、片方のグループに対して、学生たちに完治するよう祈らせました。

 

その結果、明らかに祈りの効果があったそうです。

 

私は、この時の学生達に、まごころがあったとは思えません。

 

中には、真剣に祈った人もいたでしょうけど。

 

身内でもない人のために、しかも実験のために、教授に頼まれて祈ったのですから。

 

学生たちがに何に祈ったかは分かりません。

 

アメリカの話ですから、プロテスタントの可能性が高いでしょう。

 

大半の学生は、「主」に祈ったのだと思います。

 

「主」が、学生たちの祈りを受けて、願いを叶えたのでしょうか。

 

それは、証明できません。

 

もしかしたら、念の力が働いたのかもしれません。

 

また、祈りが潜在意識に入って、潜在意識の力で実現したのかもしれません。

 

ここから言えることは、「望むことがあるなら、とりあえず祈ってみるといい」ということでしょうか。

 

いろいろ、試してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

真心が出しやすいのは

真心が出しやすいのは、他人に関する祈りです。

 

特に大事な人のことを祈るときに、出しやすいものです。

 

しかし、対象が人類とか、日本国の国民とか、不特定多数の人の場合には、真心は出にくいものです。

 

むしろ、義務感とか、神様に対する計算が頭をかすめます。

 

「公のことを祈ると、自分の願いを聞いてもらえるかもしれない」という風に。

 

逆に、家族のことになると、真剣に祈れます。

 

かわいい子や孫のことなら、尚更です。

 

子や孫が病に冒されたときや重傷を負ったとき、祈らない親や祖父母はいないでしょう。

 

それが重篤なものなら、自分の命に代えても助けて欲しいと思うはずです。

 

このとき、「私はどうなってもかまいません、〇〇の命を助けてください。」

 

「私の命を差し上げますから・・・。」

 

といった祈りは、真心の祈りです。

 

ですから、神様に通ります。

 

通れば、祈った本人の命と引き換えに、その子は助かるでしょう。

 

しかしこれは、間違った祈りです。

 

絶対にしてはならない祈りです。

 

なぜだか、わかりますね。

 

さて、自分に関する祈りも、真心でないと通りません。

 

自分自身に対して、真心を向けられますか。

 

そのためには、自分を愛していなければなりません。

 

あなたは、自己肯定感が高いですか。

 

「自分は素晴らしい人間だ」と、無条件で思えますか。

 

理想とする状態とかけ離れていたとしても、「今は、たまたまこんな状態だけど、私自身はこのままで素晴らしい」と思えますか。

 

自分を愛していないと、自分に真心を向けることはできませんし、神様に祈りが通じないでしょう。

 

10円を支払って願いを注文するのと、結果は同じです。

 

自分に真心が向けられない方は、神社では、大事な人のためだけに祈りましょう。

 

真心から家族のことを祈り、願いが叶うことを実感してください。

 

 

祈りは真心で

「形から入る」と言われる様に、神社参りも正式な作法を身につけるべきではあります。

 

鳥居の前で一礼してから入る、参道の真ん中を歩かないなどは、礼儀として当然です。

 

手水舎で、手や口をすすぐ順番や柄杓の使い方も、作法に則って美しく振る舞えば、気分も乗ってきます。

 

マスコミがテレビで正式な作法だと紹介している二礼二拍手一礼は、GHQが定めたものです。

 

今ではこれが一般になっていますが、気に入らなければ、好きな様にしても構いません。

 

ちなみに出雲大社では、二礼四拍手一礼です。

 

伊勢神宮では、柏手を9回も打ちます。

 

GHQが定める以前は、一回拍手するだけで祈ったり、神主を真似たり、いろいろでした。

 

さて、肝心な祈りは、真心でないと通じません。

 

賽銭箱に五円玉や十円玉を放り込んで、欲しいものを注文しても、何も起きません。

 

また、五千円や一万円の玉串をして正式参拝して、あるいは御神楽を奉納して、「欲しいものを注文」しても、やはり何も起きません。

 

賽銭や玉串は、神様に働いてもらうための対価ではありませんから。

 

神様自身は、お金なんて要りません。

 

ただ、神社はこの世のものですから、お金がかかります。

 

それはともかくとして、お金を払って神様に言うことを聞いてもらうなどという考えでは、何も起こりません。

 

必要なのは、真心の祈りです。

 

叶えたい夢があり、欲しいものがあるなら、真心で祈ってください。

 

夢を叶えるため、欲しいものを手に入れるため、自分はどれほどの覚悟を持っているのかを、切々と語りましょう。

 

そして、最大限の努力をする誓いを立てましょう。

 

熱誠祈願と呼ぶにふさわしい祈りは、神様に通じます。

 

その後、いろいろな変化が起きるでしょう。

 

変化を受け入れる覚悟、自分も変化・変容する覚悟を持って、祈ってください。

 

 

葛原岡神社

神奈川県鎌倉市にあります「葛原岡 ( くずはらおか ) 神社」を、紹介しましょう。

 

御祭神は、日野俊基卿。

 

この方は、後醍醐天皇の忠臣で、鎌倉幕府討幕のために尽くしましたが、幕府に捕らえられ、悲運の最期を遂げました。

 

その、最期の地に祀られています。

 

創建は、明治20年。

 

ここには大黒天が祀られていて、縁結びのご利益があります。

 

大黒様の御霊を移した「男石」、「女石」が、平成22年に祀られました。

 

参拝の方法ですが、まず、社務所で「縁結び御守り」を授かります。

 

五円玉がついた赤い糸を授かったら、それを、男性は「女石」、女性は「男石」に結びつけます。

 

その上で、良き縁が結ばれる様、御祈願ください。

 

また、こちらにはハート形の絵馬もあります。

 

恥ずかしがらずに、書いてみましょう。

 

境内にはムクロジの木が植えられていて、その実が御守りになっています。

 

ムクロジは「無患子」とも書いて、子供が病気をしないという意味があります。

 

お子様のある方は、是非、授かっておきたい御守りです。

変わらないという選択

人生のうちで、今が一番充実している、幸せだ、満足しているという方は、変わることを望まないでしょう。

 

それは、当然です。

 

そこまで充実していなくても、また、満足していなくても、積極的に変わろうと思わない人もいます。

 

世の中は変化し続けているのですから、同じ場所に留まっていたら、いつか苦しくなってくるでしょう。

 

「苦しくなってきたら、変わればいい」という考え方もアリです。

 

大事なのは、変わらないという選択を、自らの意志でするということです。

 

誰かに気兼ねしてしてとか、世間体とか、自分さえ我慢すれば家族が幸せだから・・・など、外部に基準があってはいけません。

 

自分基準で、これが正しい道なのだと心から信じて選ぶのなら、変わらないという選択は正しい選択です。

 

あなたは、どうですか。

 

変わりたいけど変われない、新しい世界へ行くのが怖い、だから、変わらないことを選択するのだ。

 

なんてのは、ダメですよ。

 

 

上のステージに立つ覚悟

変わりたいと口にしても、変わる覚悟ができていないと、変われません。

 

多くの人は、変わりたいと思っているでしょう。

 

人生において、我慢することがあまりにも多いからでしょうか。

 

収入が少なければ、もっとお金が欲しいでしょう。

 

人間関係が悪い、つまり、嫌いな人が周囲にいれば、離れたいでしょう。

 

病気だったり、体が弱ければ、強健な身体が欲しいでしょう。

 

そのほかにも、現状に対する不満はあるはずです。

 

さらに、理想の自分と現実の自分が一致していなければ、変わりたいでしょう。

 

しかし、変わりたい変わりたいと言いながら、誰しもが、変わることを恐れています。

 

現在、命の危機に直面していない限り、その場に留まろうという意識が働きます。

 

変わるために必要なのは、覚悟です。

 

一歩動けば、命の関わるかもしれません。

 

一寸先は闇、と言うくらいですから、未来に何が起きるかは分かりません。

 

じっとしているより動く方が、危険に遭う可能性が高くなります。

 

だから、変わるには覚悟がいるのです。

 

覚悟を決めて、変わりたくないという潜在意識に打ち勝たねばなりません。

 

そして、覚悟を決めて踏み出せば、案外、うまく行くものです。

 

「自分は、ここに留まっていてはいけない。」

 

「自分には、もっと上のステージが相応しい。」

 

多くのことを学び、公に尽くそうという志のある方は、今よりも相応しいステージがあるはずです。

 

来年は、そのステージに立てる様に、今からスタートしましょう。

 

 

 

 

 

 

矛盾している様に見えるけれど

関東地方で、大きな地震がありましたね。

 

読者の皆様は、大丈夫でしたでしょうか。

 

首都直下型地震が起きると言われ、高い確率が示されていますから、「ついに来たか」と、思われた方もいるかもしれません。

 

ただ、小さな地震は頻繁に起きていますから、またか、と感じた方も多いでしょう。

 

備えあけば、憂なしです。

 

備えておきましょう。

 

では、本題に行きます。

 

ここで書く文章は、ある日は「努力せよ、限界を超えよ」と厳しいことを書き、ある日は、「ゆる〜く、のんびりいきましょう」みたいなことを書いています。

 

これは、想定している相手が違うからです。

 

安穏怠惰な人や、普通の暮らしに満足している人を想定した時は、厳しいことを書きます。

 

折角、この世に生まれてきたのですから、御魂を磨いてもらいたいからです。

 

また、限界まで頑張っている方は、周囲が見えなくなっている可能性があります。

 

この様な方には、ゆっくりしましょうといった様なことを書きます。

 

猪突猛進も悪くはありませんが、たまには歩調を緩めて自分自身を見つめ直し、修正すべきは修正してもらいたいからです。

 

この割合は、9対1くらいでしょうか。

 

殆どの人は、安易な方へ流れがちです。

 

放っておくと、楽な方へ楽な方へと、行ってしまいます。

 

現代の日本人は、頭を使わなくなりました。

 

マスコミの言うことを100%信じて、一喜一憂しますし、言うことに従います。

 

また、頭を使いませんから、フィクションとノンフィクションの区別がつきません。

 

それで、台本通りに演じている出演者を、SNSで攻撃したりします。

 

頭を使わないのは、その方が楽だからです。

 

少年院にいた人に聞いたことがあるのですが、少年院では教官の指示に従っているだけで、一日が過ぎます。

 

何も考える必要がないので、とても楽だったそうです。

 

今の日本人の大半は、その人と同じ状態です。

 

楽ですし、努力しなくても、頭を使わなくても、飢える心配が殆ど無いからでしょうか。

 

こんな時代だからこそ、努力すれば、群れから抜け出せますよ。

 

烏合の衆から、抜けてください。

 

「白鳥は、カラスの群れの中には入っていけない」と、故大山倍達氏は言っていました。

 

あなたは、白鳥です。

 

カラスであるわけがありません。

 

群れから抜け出すために、限界まで頑張って、神様の応援を引き出しましょう。

 

「限界の、さらに向こうへ !! 」

 

来年は、新しいステージに立ってください。