昨日の記事で、惟の字が間違っていました。
立心偏が正しい文字です、訂正します。
さて、「かんながらたまちはえませ」について、最後にさらっと流してしまったので、もう少し解説します。
神社にお参りして、願い事をしてはいけないとか、神様は全てお見通しだから願い事をする必要がない、という人がいます。
まず、「○○してはいけない」という、掟みたいなものは、日本の神様にはありません。
「全てお見通しだから、お願いする必要はない」というのは、傲慢ですね。
一億二千万人の日本人全員の願望が、全部分かってたら、行かなくても叶っているでしょう。
願い事は、きちんと言葉で表すべきなのです。
その証拠に、神社には祈願メニューみたいなのがあります。
「心願成就」の御祈願があるということは、神様も、言ってもらわなければ分からないよ、ということです。
そこで、「○○してください」、「○○になりますように」とお願いするわけですね。
この時、長い祈りを捧げたり、お百度や二十一日祈願をすると、願い事に対する執着心が、凄いです。
それが叶うことによって幸せになれるかどうか、魂の成長に必要かどうか、人智では分かりません。
結果に執着せず、神様にお任せするという謙虚な気持ちが大切です。
思っていることを余すことなく全て祈ったら、「かんながらたまちはえませ」を三回くらい唱えて、あとは神様にお任せしましょう。
祈ったことは忘れてしまうくらい、目の前のことに没頭するのが、一番良いのです。
時が来れば、分かりますから。