神社に行き神前で祈っていると、横の方から般若心経が聞こえてきたことがありませんか。
たいてい、お年寄りですね。
神社で般若心経は、そぐわないと、私は思います。
般若心経に限らず、お経を一所懸命唱える方は、その意味を学んでいません。
意味が分かっていたら、神前で奏上するはずがありません。
例えば般若心経の意味は、「この世のものは何もない、見たり聞いたりするものは何もない、何もないくらい何もない。だから、執着心を捨てよ」です。
御利益が欲しくて神社に来ているのに、「この世には何もない」なんて、ヘンですね。
お経は、お釈迦様の言行録です。
弟子や庶民に「生き方」を教えたものです。
だから、日本語訳を読んで勉強するのが、正しいのです。
神社で般若心経を唱える人は、魔法の呪文のように思っているのでしょう。
全く、違いますから。
神社では、天津祝詞を唱えましょう。
口に出すのが恥ずかしければ、ぼそぼそと小声でも、心の中でもかまいません。
繰り返しますが、神社では天津祝詞です。