例えば神様に「家が欲しい」と願うとき、どういう家をイメージするでしょうか。
「家なら何でも良い」という願いは、具体性に欠けますから、まず、叶うことはないでしょう。
平屋か、2階建てか、木造か、鉄筋コンクリートか、庭はあるのかないのか、部屋数は、部屋の広さは、お風呂はどんなですか。
目を閉じて、はっきりイメージできれば、手に入る可能性が出てきます。
イメージしなければ、可能性はゼロです。
イメージした家は、どうでしょう。
どうせ願うなら、豪邸にしましょう。
神様は、とても大きな存在ですから、小屋を与えるのと豪邸を与えるのとに、労力の差はありません。
また、「給料が1万円上がりますように」よりも、「給料が倍になりますように」と、願いましょう。
神様の労力に、違いがないからです。
その代わり、大きな願い事をして、それが叶うときは環境が大きく変わります。
会社勤めなら、その会社を辞めざるを得なくなるでしょう。
会社にいて、いきなり給料が2倍になる、なんてことはあり得ませんから。
ですから、環境の激変を覚悟した上で、大きな願い事をしましょう。
一度きりの人生ですし、長生きしても、せいぜい100年。
ちまちまと、せせこましい日々よりも、自由で豪快な日々の方が、楽しいですよ。