「○○が欲しい」、「○○になりたい ( でありたい ) 」、という願い事は、誰しもが持っているものです。
願望は生きる意欲であり、エネルギーになります。
願望のない人は、生きた屍といえますね。
さて、願いが成就したとして、それは、誰かの犠牲の上に成り立っていませんか。
一つしかないものを取り合った時は、取れなかった人の犠牲の上に、獲得したのです。
商売で成功した時、誰かの、あるいは大勢の犠牲の上に大儲けした、ということもあります。
エネルギーの強い人、意志の強い人、パワフルな人は、えてしてこういう状態になります。
神仏に頼ることなく、権謀術数の限りを尽くして、目標を達成します。
手段を選びません。
こういう人は、成功しても恨みを買っています。
恨んでいる人が多ければ多いほど、呪われますから、いつか、失墜します。
逮捕されたり、病気になったり。
良き願いとは、それを達成したことで、第三者も幸せになっている願い事です。
ここで、犠牲者がいてはいけません。
その様な祈りをしたことがありますか。
これは、なかなか難しいのです。
難しいから、神社での願い事が叶わない。
これに、合っていないのです。
さて、どんな願い事をしますか。