ここでは、今生きている人間を、神様のごとく崇め奉ることを取り上げます。
新興宗教 ( 明治以降に興ったもの ) の教祖を、崇めてしまうのは、怖いことです。
教祖は、普通の生活をしていて、ある日突然神がかったり、病気治しが出来るようになったりした人が多いようです。
周りに人が集まってきて、やがて教団を設立し、教祖に収まります。
教団が大きくなるにつれ、当初持っていた崇高な理念は消え失せ、単なる金儲け集団になってしまいます。
教祖も人間ですから、お金の魅力には敵いません。
病気治しなどは弟子にやらせ、自分は贅沢三昧です。
おこぼれに預かれるのは、側近だけですね。
さて、宗教行為には税金がかかりません。
ガラスのペンダントを300円で売れば物品販売となり税金がかかりますが、それを30000円で売れば宗教活動ということで非課税になります。
教団は信者相手に、「新商品」 を次々に「販売」 します。
書籍、DVD、開運グッズ、教祖サマが描いたとされる絵画、掛け軸なんてのもありますね。
信者達は、教祖が取り次いでいるはずの神仏を崇めるのではなく、教祖サマを崇めるようになります。
教祖サマの言うことが「絶対」 となり、怪しい予言や、荒唐無稽の法話を信じ込みます。
オウム真理教は、社会的に大きな事件を起こしたので、話題になりました。
しかし、その他の宗教団体も、大なり小なり、同じです。
教祖の取り巻きも味を占めていますから、教祖亡き後は独立して新団体を立ち上げます。
信者の取り合い合戦が、始まります。
それはさておき、麻原彰晃の遺骨は四女が引き取って、海に散骨するそうです。
墓を作らず山中に埋めたとしても、そこが信者にとっての「聖地」 になってしまうからです。
殺人、テロを指示した人間を神様として崇め奉るのは、我々から見れば信じられない異常なことだと思いませんか。
ところが、信者にとっては、当然のことなのです。
ここが、人間信仰の恐ろしいところです。
人は尊敬しても、崇めるべきは神仏だということを、肝に銘じておきましょう。