悪いことをしたから、バチが当たったのだと。
何の被害もない部外者だからこそ、言える言葉です。
身内を亡くした人で、こんなことを考えた人など、いるでしょうか。
しかしながら、そういう考え方があるのも事実です。
人は誰でも罪を犯します。
刑法犯だけではありません。
圧倒的に多いのは、神様の目から見ての「罪」 です。
罪とは「積み」 であり、世代を重ねていくごとに積み重なっていきます。
そして、精算する時が来る。
それが、大災害だったり、戦争だったりで、多くの犠牲者が出る。
亡くなった人は、その時に亡くなるために生まれてきた ( 生まれさせられてきた ) のだと。
全て、神様が仕組んだことであり、劫が祓われることで未来が良くなっていく。
というような考えが、あるのです。
天災は、避けることが出来ません。
地震予知は、政府は確率を発表したりしています。
実際は、予知することは不可能です。
水害に関しては、山の整備や治水で、かなり防ぐことが出来るでしょう。
予算を付けないで放ったからしにしているのは、人災と言えます。
それはともかく、その土地に嘗て暮らしていた人達の劫を、現代の赤の他人が犠牲になることで祓うというのは、なんだか理不尽な気もします。
人は、病気や事故、災害で死ぬのではありません。
寿命が尽きて死ぬのです。
飛行機が墜落して、500人以上亡くなっても、生き残る人がいるのです。
災害でなくなるのも、寿命です。
私達は、何度も生まれ変わっていますから、地域や国の劫を晴らすために犠牲になった人生もあったでしょう。
前世の記憶があったら、きっと、辛いでしょうね。
台風がきて、こんなことを考えていました。