普通の家に生まれたら、正しいことをしなさいと躾られるでしょう。
学校の先生も、正しいことをしなさいと教育するでしょう。
では、正しいことをしていれば幸福な人生を過ごせるのでしょうか。
どちらかというと、不正を働く人の方が幸せそうに見えます。
正しいこと、と言っても実際は「正しいと思われること」、「正しいとされること」 です。
時代や文化によって、異なるものもあります。
例えば、親の敵討ち。
明治に入るまで敵討ちは、子供として当然の正しい行いでしたし、美徳でした。
現代では、敵討ちをすれば殺人犯として捕まり、法の裁きを受けます。
将来も、このままとは限りません。
斉藤一人さんが言ってますが、正しいことを主張するから争いが起きます。
彼は、「共産主義と資本主義、どっちが正しいかとなるから、戦争が起きるのだ」 と。
正しいことだけして暮らすのは、辛いです。
田舎の横断歩道で、信号が赤だったとします。
遠くの方まで車は見えません。
そんな時でも、青になるまで待つのは、辛いですね。
滅多に車が通らない田舎なら、横断歩道がないところ ( 渡りたいところ ) を渡るのが普通です。
勧めているのではありませんよ。 ( 法律は守りましょう )
正しいことでは、幸せにはなれないのです。
斉藤一人さんは、正しいことより、楽しいことをしましょうと言っています。
「共産主義と資本主義、どっちが楽しいかで議論すれば、戦争にはならない」 と、彼の本にありました。
正しいことをしようとするから、苦しいのです。
楽しいことをしましょうよ。
正しいことだけしてきた人は、周囲の人から見れば、使いやすい都合のいい人です。
そのようになってしまっていませんか。
我が儘になりましょう。
やりたいことしかしない。
やりたくないことはやらない。
そう、宣言しましょう。
人生、いくら長生きしても、たかだか百年です。
残りの時間を考えると、やりたくないことをやっている時間なんか、ありませんよ。
やりたいことだけやっても、全部やりきれるかどうか分からないのですから。
ただし、法律は守りましょう。
また、他人を犠牲にするのは、いけません。
他人の犠牲の上に成した幸福は、神仏や守護霊だけでなく、自分の魂が許しませんからね。
魂が喜ぶ様なやりたいことを、心から楽しんでやっていれば、自然に周りの人も幸せになるのです。