「真面目にやりなさい。」
「一所懸命やりなさい。」
「頑張りなさい。」
よほど特殊な家庭環境でない限り、このように躾られてきたのではないでしょうか。
このように生きることが美徳である、このように生きなければならない、そう刷り込まれています。
悪いことではありません。
不真面目なお医者さんに手術されたら、命取りです。
真面目、一所懸命、頑張ることは、悪いことではありませんが、全方向にそのようであるのは、御魂の偏りなのです。
ある意味、融通が利かない。
視野が狭く、疲れるだけで、決して幸せにはなれません。
真面目に一所懸命頑張ってきたのに、たいしたことも出来ず、夢を諦め、生活するためだけの日々を送っている人。
あなた自身が、そうなっていませんか。
仕事は、真面目に、一所懸命、頑張るのは当たり前です。
しかし、それ以外の生活も、人生です。
いい加減に、テキトーに、頑張らないことが必要です。
必要と言われて、ハイそうですかと手抜きできないのが、日本人ですね。
そう、躾られていませんから。
幼い頃から、両親や先生に言われ続けたことと真逆のことは、やりにくいのです。
「良いこと聞いた」 と始めても、なんだか居心地が悪くなり、そのうちに頑張ってしまいます。
今日一日、何もしないでボーッと過ごして良いよ、と言われて出来る人など、滅多にいないでしょう。
私達は、躾によって御魂が歪になってしまっている、ということです。
自覚のある方は、テキトーにする「努力」 が要るのですね。
古事記を読めば分かりますが、日本の神様は、皆、おおらかです。
真面目に一所懸命頑張っている神様って、ちょっと記憶にありません。
私達も、ゆるやかで自由なほど、神様に近いと言えます。
仕事以外は、テキトーに自由自在に、生きましょう。
それが、神様に近いのです。