「神様は全知全能だから、神社で願い事をする必要は無い。」
「神様は全知全能だから、神社で願い事をしてはいけない。」
などと言う人がいますが、その根拠は何なのでしょう。
古事記を見てみると、全知全能の神様なんて一柱 ( 神様の数を数える単位は「柱」 です ) も、いませんよ。
困り果てた天照大神は、すねて引きこもってしまいました。
お陰で地上は、真っ暗闇です。
高天原の神々は困り果てて、対策会議を開きました。
全知ではないので、話し合って知恵を出し合ったのです。
そして、引きこもってしまった洞穴の前で、どんちゃん騒ぎをしました。
アメノウズメノミコトは、ストリップを始めます。
見ていた神様達は、やんや、やんやの大騒ぎ。
天照大神は、「何事か」 と、扉を少し開けて覗きました。
天照大神が、全能の神様なら、すねて引きこもらないでしょう。
古事記には、名前だけしか出てこない神様が、沢山います。
エピソードがある神様は、皆、全知全能ではありません。
ですから、神社に参拝して感謝だけして帰ると、神様としては、「ご苦労様」 程度でしょう。
守護はして下さいますが、願っていることは叶えてもらえません。
神様は、願い事を知らないのですから、叶えようがないでしょう。
「神様は全知全能だから・・・」 と言う人は、おそらく、一神教の神様と勘違いしているのでしょう。
自分が全知全能だから、人々には、厳しい掟と天罰を与えます。
日本の神様は、長所もあるし短所もあるし、人間くさいですね。
親しみが持てます。
関西方面では、「神さま~」 と崇め奉るより、「神さん」 と呼んで、まるで近所のおじさんみたいに接する人が多いです。
神社参りをした時は、願い事は全部、吐き出しましょう。
正しい願い事かどうかは、自分で判断するものではありません。
神様は全知全能ではありませんが、人知を超えていますから、正邪の判断基準が違います。
大きいことから些細なことまで、心の内を全部神様にさらけ出すつもりで祈りましょう。
最後に「かむながらたまちはえませ」 で締めくくります。
結果は神様に委ねます、という意味です。