神仏に祈ったり、オカルトのワザを使ったり、願い事を叶える方法はたくさんあります。
願望が実現すれば幸せだと思うから、祈願するわけです。
しかし、願いが実現したからといって、必ずしも幸せになるとは限りません。
特に、他人の犠牲の上に成就した場合は、必ず不幸になります。
犠牲になった人たちの怨みや呪いが、生霊として巻き付いてきますし、他人を痛めつけることで劫を積んでいますから。
オカルトのワザを使って願いを叶える時には、十分注意したいですね。
潜在意識の活用も、同じです。
神仏に祈って達成したのなら、何の心配も要りません。
神仏は、我良しだけの祈りは、受け付けてくれませんので、そういう願いは叶いません。
神仏に祈願して、その願いが叶ったても、幸せが続くとは限りません。
私は、気が抜けたような、虚しさを感じることがあります。
結局、目標に向けて頑張っている状態が、好きなんですね。
人それぞれでしょうけど。
より困難な状況を、自ら求めたりしてしまいます。
ホラー映画やお化け屋敷、絶叫マシーンに病みつきになる人と同じく、スリルの最中に大量のアドレナリンが分泌されることが、快感になってしまっているのでしょう。
理由はどうであれ、願望が実現しなければ、辛い。
だから、神仏に祈願しながら全力を尽くします。
その状態そのものが、幸福なのでしょう。
あくまでも、人それぞれですが。