対話といっても、神様とお話しするのではありません。
当たり前ですね。
神様の姿は見えませんし、声も聞こえません。
教祖サマや霊能者の中には、「神様とお話しする」 人がいますが。
本人以外の誰にも分かりませんから、それは、信じるか信じないかの問題ですね。
それはさておき。
前回、最後の方にちょこっと書きました。
「神様に、投げかける」 ことを、やってみましょう。
生きている限り、悩み事や問題は次から次へとやってきて、尽きることがありません。
悩み事は、その大小にかかわらず、神様に投げかけましょう。
毎朝、神棚をお祀りしている人は、その時に、悩み事相談みたいな感じで、神様に答えをねだって下さい。
そうでない人は、いつでもどこでも、かまいません。
神社参拝でも、かまいません。
祈る対象は、産土の神様か、守護霊様が望ましいですね。
あるいは、観音様でしょうか。
観音様の場合、見込まれると凄まじいシゴキの日々が始まります。
悩みなんか、どこかに吹っ飛んでしまうくらい、過酷な日々を強制されます。
その結果、人の何倍も早く成長して、一気に高みに上れます。
そこまで見込まれない場合、優しく、悩み事を解決して下さいます。
さて、神様に投げかけたことは、しばらくすると答えが返ってきます。
ふと耳や目に飛び込んできた言葉で、ハッと気づくことが多いですね。
人の口を通して、ヒントを頂くこともあります。
言っている本人は、神様に使われているのでしょう。
夢や、現象などの場合もあります。
これらのことで、同じ答えが三回以上あれば、それは神様からの答えだと判断できます。
一回、二回では、勘違いや希望による解釈があります。
さらに、直接の「お告げ」 は、絶対にありませんから、注意して下さい。
深い瞑想をしたり、長く祈っていると、テレパシーが来たような気がすることがあります。
これは、答えではありません。
霊的に敏感になっている状態で、邪気邪霊に感応しているだけです。
自称霊能者や新興宗教の教祖サマは、この類ではないかと、私は思っています。
偏見かも知れませんが。
答えは、ふと目にした広告、食事中、後の席にいる人が発した言葉、テレビのスイッチを入れた直後の映像などで、突然やってきます。
ちゃんと受け取れるかどうか、心配ですか。
大丈夫です。
心に突き刺さりますから、気づきますよ。
真剣に祈ったなのら、神様は、気づくまで何度も教えて下さいます。
悩み事は、全部神様に預けて、心を軽くしましょう。