中国の古典、禅のエピソード集である、「碧巌録」、「無門関」 などは、感覚を磨くのによい書物です。
この手の書物は、左脳を使って理解しようとしても、全く解りません。
理屈でないところに、禅の公案があるからです。
紹介されているエピソードについて、「これは、こういう話で・・・」 と、解説がされていますが、文字で解説した時点で、ずれてしまっています。
ただ、感じる、それだけのものです。
正確に覚えていないのですが、話を一つ紹介しましょう。
間違っている部分があれば、大目に見て下さい。
ある禅寺で、若いお坊さん達が修行していました。
そこに猫が一匹、迷い込んできてトラブルになっているとこに、南泉和尚が入ってきました。
いきなり猫をつまみ上げ、問答を仕掛けます。
「お前達、何か気の利いたことを行ってみろ、そうしたら、助けてやる。言えなければ、切り捨てる。」
若いお坊さん達は、何も言い返すことができず、猫は殺されてしまいました。
その夜、高弟の趙州禅師が帰ってきました。
寛いで和尚さんは、昼間の出来事を話します。
・・・ということがあってね・・・と。
「さて、お前さんなら、何と言う。」
すると趙州禅師は、履いていた草履を頭に乗せて、そのまま出て行きました。
和尚さんは、
「ああ、あの時、お前がいたら、あの猫も死なずに済んだのに・・・。」
この話が、理解できますか。
訳が分かりませんよね。
これが、神様の世界に近いと言われています。
理論ではない世界、非理論でもない世界、理論が発生する前の世界、と何かの解説書にありました。
その意味も良く分かりませんが。
なんだか、訳の分からない世界が神様の世界なのでしょう。
それはともかくとして、禅の本は、一度読んでみることをお勧めします。
いきなり師匠を殴りつけたり、小僧の指を切り落としたり、変な話が満載です。
原因と結果、理由と結論が、全く結びつかない話ばかりです。
思考の枷を外すには、最適ですよ。