言霊で解釈すると、穢れ = ケガレとは、「氣枯れ」 です。
穢れているというのは、よごれているのではなく、氣持ちが枯れてしまっていることです。
氣が枯れるとは、がっかりして落ち込んでいる状態です。
身内を亡くすと、喪に服している間は神社参拝を控える風習があります。
穢れているから、というわけです。
神社のような、神聖な場所には相応しくないと、人間側が解釈しているのですね。
神様から見れば、そんなことはないでしょうに。
人の生き死には、日常です。
生まれてきた人は必ず死にますから、身内が亡くなったくらいで神社参拝を控えるのはいかがなものでしょうか。
神社参拝を控える期間は、神主によって、見解が違うようです。
一番長い意見は、1年間。
短い意見は、三日間。
これは、亡くなった当日、翌日のお通夜、3日目の告別式。
神道式の葬儀でない限り、まあ、この三日間は参拝しません。
四日目からは、神社に来て下さいというのには、理由がありました。
身内を亡くして気が枯れていますから、気を補給しましょうと。
一日も早く神社に参拝して、御神気をたっぷり浴びて補給して下さい、ということです。
遺された者は、まだまだ人生が続きますから、いつまでもがっかりしているわけにはいきません。
元気を取り戻して、人生を豊かにしていく「義務」 があります。
明るく元気に盛り上がっているのは、神様の望みでもあります。
身内を亡くされた方は、どんどん神社参拝しましょう。
私は、父親が不慮の事故で亡くなって三ヶ月も経っていない時に、神宮の御垣内参拝をしました。
父を亡くした当初は、周囲の忠告に従って、神社参拝を控えていましたが。
何の邪魔も入りませんでしたし、一気にエネルギーがチャージされて、参拝後もスムーズにいきましたよ。
祟りも、戒めも、ありませんでした。
喪に服していて、神社参拝を控えていた方は、考えを改めて下さい。
参拝して、元気になったり、開運したりすれば、それは供養になりますよ。