イエス・キリストが人々を諫めてから2000年経っても、人は、自分の尺度で他人を裁きます。
SNSが発達した現在、特定の個人を悪者に仕立て上げることが、簡単にできるようになりました。
匿名性もあって、普通の人が、安心して、徹底的に誹謗中傷するのですよね。
実際には、IPアドレスを辿って、発信者を特定することができます。
他にも、特定方法は、あるようです。
少年犯罪の場合、マスコミは犯罪者の名前を隠しますが、ネットではその日の内に個人名、住所、家族構成、本人や家の写真が出回ります。
事件に全く関係のない人を、「あいつに違いない」 と、勝手に決めつけて晒す人もいますね。
匿名だから、やってしまうのです。
間違った正義感、というのでしょうか。
ここまではしなくても、私達は、自分の尺度で、他人を裁きます。
うわさ話が嫌いな人は、少ないでしょう。
うわさ話の殆どは、悪口、誹謗中傷です。
してもいないことを捏造してまで、貶すこともあります。
自分がいない場所では、自分自身も他人に悪口を言われたりしているのでしょう。
「自分が裁いたように、裁かれる」 のです。
互いに中傷し合って、何か、良いことがあるのでしょうか。
そのレベルから抜け出すには、毎日の祈りが一番効果的です。
神棚に向かって、毎日、日本国の繁栄と日本国民の幸せを祈りましょう。
勿論、自分や家族、親戚縁者、友人知人、地域の人の幸せも、一緒に祈りましょう。
人の幸せを心から祈れるようになったら、簡単に、人を裁いたりしなくなります。
心が豊かになりますよ。