中国の洞山良介禅師の「宝鏡三昧」 に、「潜行密用は愚の如く、魯の如し」 とあります。
潜行密用とは、日常生活の中に仏の教えを忍ばせる、というくらいの意味です。
愚や魯は、愚かな者やのろまな者のことです。
目立たない普段の生活にこそ、本当の修行があります。
でも今は、「目立って、なんぼ」 の時代ですね。
YouTubeなどの動画サイトで、法律に触れるギリギリのところ、時に、法律を破って、人の興味を引く動画を上げる人が沢山います。
再生数が増えれば、広告収入も増えますから。
インスタグラムの投稿も、同じでしょう。
プライバシーやセキュリティーなど一切考慮せず、写真や動画を投稿する人が、沢山います。
今の世の中、愚の如く魯の如く、地味に修行することは、嫌われます。
誰しも、華々しくありたいし、ちやほやされたいでしょう。
そう思っている内は、まだまだ修行が足りないわけですが。
とはいえ私達、俗世間に生きる者は、厳しく指導してくれる師匠がいないので、自分を律することが難しいですね。
愚直に御魂を磨くために、簡単でよいので、何か習慣付けましょう。
例えば、
大祓祝詞を奏上する。
10分間、瞑想する。
百人一首を、一日10分暗記する。
古事記を音読する。
「とほかみみため」 を、40回奏上する。
古典を読む。
など、10~15分程度でできることを、毎日、欠かさず続けるのです。
15分は、1日の1%の時間です。
この1%を、御魂磨きの修行に当てましょう。
僅か1%ですから、一切の言い訳を許さず、愚の如く魯の如く、ひたすら続けます。
寝不足であろうが、忙しかろうが、病気であろうが、身内に不幸があろうが、理由のいかんによらず続けます。
修行ですから。
運が良くなるためとか、悟りを開くためとか、結果を求めないで、ただ、続けます。
なかなか変化が現われませんから、結果を求めると辛くなり、やめてしまいます。
愚の如く魯の如く、ただ、続けましょう。
三年間続けることが出来れば、人生が変わっているでしょう。