金運を求めて神社参拝する人の殆どは、現金が欲しいのでしょう。
資本主義の社会では、お金があれば、悩み事や問題の8~9割は解決できます。
この世は金が全て、ではありませんけど。
お金さえあれば幸せだ、というものでもありませんけど。
十分なお金があれば、おおむね幸福と言えるでしょう。
さて、お金が欲しい、お金が欲しいと言いますが、本当にお金が欲しいのでしょうか。
「使ってはいけない十億円」 をもらっても、邪魔になるだけです。
実際は、そのお金を使って得られるものを、求めているのです。
物質的なものであったり、体験であったり、安心感だったり、です。
神社で金運祈願をしても、必ずしも現金が入ってくるとは限りません。
出費しなくて済んだ、お金を出さずに済んだ、というのも金運です。
運良く損失を食い止められた、というのも金運です。
食事を奢ってもらうのも、金運です。
金運神社参拝をして、お金が入ってこなくても、御神徳は必ずあります。
現金だけに注目すると、お礼参りをしないでしょう。
そうなると、次の御神徳は頂きにくくなってしまいます。
このあたりのことを、注意して下さい。
繰り返しますが、出費しなくて済んだのも金運ですからね。