前回は、大きく祈ることを取り上げました。
その続きです。
大きく祈ることは、公のために祈ることです。
祈りの対象は、自分が属する集団でもいいし、そうでないものでも構いません。
日本国や日本の国民の幸せを祈ることは、その中に自分も入っていますから、願いが叶えば自分も幸せになれます。
この場合、多少、打算が働くかもしれません。
祈りの対象に自分が含まれていない場合、例えば、ウイグルやチベットで迫害されている人々のために祈ることは、できますか。
その祈りが叶って、ウイグルやチベットの人々が解放され、幸せな国家を築くことができても、自分には、何も影響が無いでしょう。
その人たちに感謝されるわけでも、誰かに褒めてもらえるわけでもありません。
それでも、祈ることができますか。
「何の得にもならない」 と言われれば、現実的には、その通りです。
でも、得にはなりませんが、徳にはなります。
他人の幸せを祈ることは、無財の七施の一つ「心施」 に当たります。
「そうか、徳が積めるのか」 なんて考えてしまうと、また、打算が入ってしまいそうですが。
それはともかくとして、一度、自分の損得とは全く関係のない立場の人のために、祈ってみてください。
他者の幸せを祈ることは、本当に気持ちのよいものです。
胸のあたりがポカポカしてきて、なんとも言えない幸せな気分になりますよ。
その気分のまま日常に入っていけば、誰もがあなたの味方になってくれるでしょう。
あなたは、輝いています。
明日も、良い一日をお過ごしください。