神様や守護霊に祈っても、正解を教えてもらえることは、ありません。
「祈っても、答えが返ってきたことなんてない」という人は、正解を求めている人でしょう。
AかBかの選択に迷って、それを神様や守護霊に投げかけた時、「Aにしなさい」なんて答えは、返ってきません。
祈りの答えは、第三者の口を通したり、テレビなどから耳に入ってきたこと、ふと目についたことで返ってきますが、正解そのものではありません。
答えは、「気付き」として与えられます。
私たちは幼い頃から、学校などで正解を出す訓練を続けてきました。
知恵を働かせるためには知識が必要ですから、正しい知識を学ぶのは当然のことです。
ただ、それが行きすぎて、手っ取り早く正解を求める癖というか、思考パターンになってしまっています。
ですから、神様に祈っても、正解を教えてもらえるものだと信じています。
そもそも、人生おける問題で、正解なんて、あるのでしようか。
試験問題ではないのですから、人生に正解を求める姿勢を改めましょう。
先ほどの、「AかBか」の選択を祈った時には、私の場合、「早く決めろ」とか「楽しめ」とか、そのような気づきが与えられることが、多いですね。
選ぶのは、自分自身です。
神様は、決めません。
どちらを選んでも、人生は続きます。
私の経験からすると、祈らなくても、早く決める方がうまくいきますし、楽しい方を選ぶ方がうまくいきますが。
長く考えても、結局選ぶのは、最初に直感で選んだ方と同じことが多いです。
また、義務感で選ぶと、だいたい失敗に終わります。
迷った時は、即断・即決・即実行です。
それで失敗したら、やり直せるならやり直し、不可能ならきっぱり諦めます。
人生におけるイベントは、次から次へとありますから、引きずりません。
成功しても、失敗しても、その過程における経験は、学びと御魂磨きですから、プラスです。
話がそれました。
祈りの答えは、気付きです。
気付きですから、腑に落ちます。
これからは、正解を求めず、気付きを求めましょう。