試練は、多くの場合、失うこと ( 奪われること ) としてやってきます。
それは大切にしていたものである場合もあるし、失って初めて大切さが分かるものもあります。
耐え難い喪失感から絶望してしまい、再起不能になったり、自死を選んだりする人もいます。
試練とは、そういうものです。
たとえ、日頃からイメージトレーニングしたり、覚悟を決めていたりしたとしても、突然の喪失は、ものすごいダメージになります。
さて、東京パラリンピック、無事、競技が終了しました。
感動的な場面が、たくさんありましたね。
選手たちは、障害を持って生まれてきた人と、途中から障害者になった人があります。
人生の途中で、今まで持っていた機能や、体の一部が失われた時のショックは、どれほどのものだったでしょう。
中でも、特に、失明はキツいようです。
以前読んだ本に、中途失明者は、一度は自殺を考えるとありました。
それを乗り越えて、他人に感動を与えるほどになっているわけですから、ただただ、賞賛するばかりです。
この先、科学が進歩して、やがては失われた身体そのものが再生されるようになるでしょう。
その時代に生まれてきたに人は、その時代なりに、また、別の試練が課されると思います。
前回も書きましたが、試練は神様のお試しです。
「さあ、お前なら、どう乗り越える ? 」と、問われているのです。
人には、その人に相応しい試練が与えられます。
志の高い人や、使命を持って生まれてきた人には、とても大きな試練が課されるでしょう。
そうでない人にも、それなりの試練はあります。
ただ単に、前世の刧の解消をさせられているだけ、なのかも分かりませんが。
辛いことが起きた時は、「これは、神が与え給うた試練だ。乗り越えてやるぞ。」と、迎え撃てば、乗り越えられます。
古いですが、「巨人の星」のテーマが、頭の中に流れる方もいらっしやるでしょう。
辛い時には、音楽の力も頼りになります。