テレビで神社参拝の方が紹介されることがありますが、こだわりすぎるのは良くありません。
参道の真ん中を歩かないとか、柄杓を口につけないとか、最低限の礼節は守らなければなりませんが。
賽銭の入れ方とか、礼や拍手の仕方とか、祈ることの順序とか、あまり気にしなくてもいいでしょう。
こだわると、正しく遂行すること自体が目的になってしまいます。
それでは、自分の思いが神様に伝わりません。
「これでいい」と信じて行えば、それでいいのです。
これは、仏様の真言を唱える時も同じです。
真言は日本語ではありませんから、長くて覚えにくいのもあります。
もし、間違って覚えてしまっていたとしても、信じて唱えれば、目当ての仏様が来てくださいます。
大切なのは、仏様を求める心です。
形通り、作法通りにすることは、二の次です。
仏様に祈る時、二拍手する人がいますが、それが正しいと信じてやっているのなら、それでいいのです。
拍手したからといって、バチは当たりません。
最も大切なのは、いつも神仏を身近に感じている、ということです。
いいことがあっても、嫌なことがあっても、祈りを捧げることです。
ホウレンソウ ( 報告、連絡、相談 ) に、自分の気持ちをプラスして、毎日祈っていれば、神仏がとても近しいものになります。
時には、愚痴や不平や不満を聞いてもらいましょう。
人間相手だと、聞かされる人は堪ったものじゃありませんから、言うなら神様・仏様です。
ストレスの捌け口になっていただきましょう。
「感謝の祈りだけで、願い事をしてはいけない」というのも、信じ込みです。
でも、それを信じて感謝しかしない人は、それはそれで良いのです。
感謝しかしないのは、私は、もったいないと思いますけど。
ともかく、あまり形式や約束事に拘らずに、親しみを持って祈りましょう。