神社であろうが、神棚であろうが、言葉で祈ります。
映像をイメージするだけでは、祈りになりません。
また、「相手は神様だ、感謝だけしておけば気持ちを汲み取ってくれて、願いを叶えてくれる。」などというのは、幻想です。
たぶん、オリジナル色を出したい新興宗教の教祖サマが言い出したのでしょう。
感謝するだけで神様に動いてもらおうなんていうのは、傲慢以外の何物でもありません。
感謝は大切ですが、神様を感動させる祈りが、神様を動かします。
祈りは言葉です。
普通の人は、賽銭箱に五円玉や十円玉を放り込んで、
「お金が欲しいです、お願いします。」
「結婚したいです、お願いします。」
「病気が治りますように、お願いします。」
で終わりです。
このような短い祈りで、神様は感動されるでしょうか。
されるわけがありません。
ある程度の玉串を出して、正式参拝されたことのある方は、神主の奏上する祝詞の長さを知っているでしょう。
「〇〇をお願いします。」とは、比べ物になりません。
自分で祈る時も、祝詞のように格調高い祈りをすると気分も乗りますが、事前に下書きして練習する必要があります。
これも、何十回、何百回と経験していれば、自然に口から出てくるようになると思います。
練習次第です。
そこまでは無理でも、願いを叶えていただくような祈りをするためには、長い文章が必要です。
その願いが叶うことで、いかに世の中が良くなるか、いかに大勢の人が幸福になるかなど、言葉を変え、表現を変え、神様が感動するような文章で祈りましょう。
必然的に祈りの時間が長くなります。
ですから私は、正式参拝しない時は、一人きりで参拝します。
さて、あなたは自分の望みを、きちんと言語化できますか。
神様が御神徳を授けてくださるように、説得できますか。