酷い目に遭わされた時、相手に怒りを覚えたり、恨んだりするでしょう。
「私に落ち度があったのだ」と反省する人など、まず、いません。
「なぜ、あいつは、あんなことをしたのだ」と、腹を立てます。
これは、主体が相手にあります。
そこで、
「何のために私は、彼にあのようなことをさせたのか」と、考えるようにしてみてください。
これは、主体が自分です。
身の回りの出来事は、自身の脳が作り出したものだとの考え方があります。
ネガティブな出来事も、自分の脳が作り出したものであり、それを引き寄せただけのことです。
自分は何のために、その出来事を引き寄せたのか。
悪いことだけでなく、嬉しいこと、楽しいことに対しても、同じ考え方をするといいでしょう。
「私は何のために、彼女に私が喜ぶことをさせたのか。」
その後に起きた出来事や心境から、答えを導き出せるでしょう。
ネガティブなことが起きた時、「自分がさせた」と考えるようにすれば、人を憎んだり恨んだりすることがなくなります。
憎しみや怒りは、押さえ込むことはできても消えてなくなりはしません。
何十年も経って、ふと嫌な記憶が蘇った時、その時の恨み・憎しみ・怒りが、当時のまま蘇ります。
不幸の種になりかねません。
今までの分は仕方がないとして、今後、このような感情を増やさないためにも、考え方を工夫していきましょう。
不誠実な対応も、裏切りも、手のひら返しも、嫌がらせも、誹謗中傷も、「何のために、させたのか」を考えるようにしてみてください。
奇魂磨きにつながります。
そしてそれは、主体を持って生きることになります。