大切な人を亡くすことは、ものすごく大きな衝撃です。
心が壊れてしまう人もいるでしょう。
そこまでいかなくても、悲しみに明け暮れて、立ち直れないままの人もいます。
会いたいと、いくら強く願っても、それは叶いません。
数年か、数十年後には、自分自身もあの世に帰りますから、もしかしたら、再会できるかもしれません。
人は、必ず亡くなります。
さて、亡くなった人に会いたいと願い続けることや、その人のことばかり思って悲しみに明け暮れることは、執着心です。
この執着心は、亡くなった人をこの世に引き戻します。
相手の方も、あまりにも強く思われたら、それを振り切って、あの世に帰ることができません。
これは、互いにとって不幸です。
あの世に帰れない霊は、浮遊霊としてこの世に留まり続けます。
あるいは地縛霊として家に留まったり、思ってくれる人に取り憑いて、あの世に帰れません。
あの世の修行を怠るという罪を犯すことになります。
また、この世の人にとっても、本来、果たすべき使命を果たすことなく、誰かの役に立つこともなく、御魂を磨くこともなく、進歩も向上もせずに、悲しみの中で老いて死んでいくことは、怠りの罪です。
「執着を手放しなさい」と言われても、何か切っ掛けが無いと難しいでしょう。
お盆は、執着を断ち切り、新たな人生を始めるのに、良い機会です。
この世で体験することは、全て、必要であり、必然であり、その時の最善のことだと考えてください。
大切な人を亡くすという出来事ですら、そうなのです。
避けて通れなかったのです。