修行しろと言ったり、楽しめと言ったり、私がここで書いているが矛盾していると思う方もいらっしゃるでしょう。
私は、自分に対して言い聞かせることも兼ねて、ここに書いています。
私たちは、御魂を磨くために生まれてきました。
最も磨きやすい、というか磨き方が分かりやすいのが、荒魂です。
荒魂は、外に向かえば勇気や行動力、内に向かえば忍耐、肉体的には筋肉です。
そこで、努力して何かに打ち込んでいると、荒魂が磨かれていきます。
私は、新しい知識を得たり、出来なかったことが出来るようになることに、無常の喜びを感じます。
それで、ワクワクしながら学んだり、練習したりします。
側から見れば物凄く努力しているようでも、やっている本人は楽しくて仕方がない状態です。
この状態が続くのが理想です。
しかし、目的の技術がなかなか身に付かなかったら、楽しんでいた学びが苦しくなります。
そして、いつしか苦痛を押さえ込んで、頑張るようになってしまいます。
頑張って努力するようになると、視野が狭くなり、手段が目的化します。
「頑張る」とは「我を張る」ことです。
我を張れば張るほど、神様から遠ざかってしまいます。
そうすると、ひらめきは降りてきませんし、運も悪くなってしまいます。
それを自覚した時、「正しいことではなく、楽しいことを選ぼう」、「川上から流れに乗っていこう」、「自分に与えるのは、罰ではなく喜び」を思い出します。
そして、軌道を修正するため、自分自身に言い聞かせることを含めて、ここに書いているのです。
また、流れに身を任せて楽に進んでいると、いつしか流されるだけの人生になってしまいます。
不本意な出来事が来ても、逆らうことが面倒になります。
いつの間にか遊惰放逸になり、人生が逓減していきます。
それに気づいた時、「修行じゃあ !! 」、「精進努力じゃあ !!」となるわけです。
目的は、御魂を磨き、徳を積み、自分も周囲も幸せにし、社会に貢献し、日本国に貢献し、人類に貢献することであり、これはブレません。
右に傾けば左に舵を切り、左に傾けば右に舵を切る。
それだけのことです。
ここに修行の大切さを説いているときは、「このところ、だらけていたんだね」と思ってください。
今後も、よろしくお願いいたします。