少し前に、赦すことの大切さについて取り上げました。
まず自分自身を赦し、周囲の人を赦します。
自分に一番近い人は自分自身ですから、自分を赦さないことには、何も始まりません。
自分の容姿、身体、能力、知能、性格、過去の行い、現在の生き方など、赦せないと思っている部分を、一つずつ赦していきます。
赦しには、知性を使います。
「その欠点は、何のためにあるのか。」
「何のために、今の嫌な環境を引き寄せたのか。」
と、ここでも「何のために」思考をします。
それで、自分なりに答えを出して、赦します。
他者の赦しについても同様に、「何のために」を考えます。
あなたに仇為した人について、「何のために私は、彼・彼女に、あのようなことをさせたのか」と。
そうして赦しても、嫌いな相手に対しては、わだかまりは残ります。
その時は、「私のために、わざわざ刧を積んでくれて、ありがとう」と、上から目線で感謝の言葉を囁いてください。
これで、氣持ちが晴れますよ。
あなたを傷つけたことで、相手は刧を積んだのは確かです。
わざわざ、あなたの前世の刧を晴らす役割を担ってくれたのですから、感謝してやっても良いのです。
さて、落とし穴についてです。
赦しを与えるために、いちいち「何のために」を考えていると、面倒になってきます。
頭を使うと、疲れます。
また、嫌な思い出に氣分が悪くなることもあります。
それで「私に関わった全ての人を赦します。」みたいに、まとめて赦しを与えるようになります。
知性で分析していませんから、理由もなく赦しているわけです。
これを、日々の瞑想の中で行ったり、アファメーションとして続けていると、弊害が出てきます。
脳が、「この人は、赦したいのだ。」と判断して、赦さねばならないような状況を作り出します。
つまり、誰かがあなたに嫌な思いをさせるのです。
それが次々に起こります。
運が良くなるために赦しているのに、返って不愉快な事ばかりが起こります。
引き寄せの法則が働いている、ともいえます。
分析もせず、ただ何となく赦すのは、よしましょう。