神社に参拝したとき、十円玉を一枚を賽銭箱に放り込んで二拍手し、「金持ちになれますように」と祈る。
同じようにして、「結婚できますように」、「恋人ができますように」、「出世しますように」、「合格しますように」などと祈る。
このような参拝をする人が、多いのではないでしょうか。
これで願いが叶ったら、奇跡です。
もう少し神社参拝が分かっている人は、五千円なり一万円なりの玉串をして、正式参拝・昇殿参拝をします。
この場合、神主が祝詞をあげている間、ぼうっと見ているだけの人が多いでしょう。
さらに分かっている人は、神主の祝詞の間、ずっとひれ伏して祈り続けます。
この時に、ひたすら「金持ちになれますように」、「結婚できますように」とお願いし続けている人も、願いは叶わないでしょう。
神様にしてみれば、「あなたは、何のためにお金が必要なのか ? 」と突っ込みたいでしょう。
お賽銭だけして祈る時でも、高額の御玉串をして正式参拝する時でも、願いが叶っているときのイメージが大切です。
本当に望んでいることなら、明確にイメージできます。
何のために、それを実現する必要があるのかが、分かっているはずです。
たとえ、自慢したいから、ちやほやされたいから、楽をしたいから、現状から抜け出したいからといった目的でも、遠慮せずに、そのまま祈ってください。
神様は、素直な人が好きです。
格好をつける必要もありません。
本心をありのまま、祈ってください。
祈りは、願いが叶っている状態を明確にイメージして、それを言葉に乗せるのです。
意を乗せるから「祈り」と、考えましょう。
注文書を読み上げるような祈りではなく、人に夢を語るように、神様に自らの夢を語ってください。
やがて、ひらめきやお知らせが、やってくるでしょう。
ただし、夢を実現させることができるかどうかは、自分次第です。