徳分だけ持って生まれてきた人も、刧だけ持って生まれてきた人もいません。
また、世間と関わっている限り、善ばかりというわけにもいきません。
親切が相手を傷つけることもあります。
それで、良いことも起きるし、悪いことも起きるのです。
諺に、禍福は糾える縄の如し ( かふくは あざなえるなわのごとし ) とあります。
これは、幸不幸は、縄の目のように交互にやってくる、ほどの意味です。
また、人間 ( じんかん・にんげん ) 万事塞翁が馬、とも言います。
これは、幸せの時には不幸の心構えをしておけ、不幸の時は次に幸福が来るから頑張れ、ほどの教えです。
幸福の時にそれを楽しむだけ、不幸の時に嘆くだけ、ではいけません。
それでは、御魂の成長につながりません。
幸せの時も、不幸の時も、何かしら學びとるのです。
そこから、徳を多く積み、刧をなるべく積まない工夫をするのです。
やがて悟りの段階に達すると、輪廻転生から外れます。
その後は、時々この世に生まれてきて、凄まじい試練の後に人々を導く人生となるでしょう。
ブッダやイエスの生涯を思うと、発達途上の今の人生の方が幸せのような気もしますね。
ともあれ、幸も不幸も、みな學びの種です。
御魂を磨いていきましょう。