1週間後の9月19日は、彼岸の入りです。
この修行は、仏教徒なら生涯にわたって続けるものです。
それが仏に至る道だからです。
仏に至るとは、解脱する、悟りを開くことです。
スピリチュアル的には、覚醒する、統一意識に達するといったところでしょう。
悟りをひらけば、輪廻転生する必要がない「仏」になれるのです。
あの世に比べれば、この世は苦しいことばかりが多く、生きているだけで修行の日々です。
そんな苦しい世界に生まれ変わらなくて済むように、仏道修行をするわけです。
ただ、「何かを避けるためにする」のは、後ろ向きであり、神道的生き方には反しています。
神道では困難に直面した時、「面白い。やってやろうじゃないか。」と迎え撃ちます。
明るく、積極的に生きていくうちに、御魂が磨かれていきます。
さて、彼岸は仏教の行事ですが、「お彼岸」という言葉も、彼岸の墓参りも、多くの日本人にとって馴染みの深いものです。
六波羅蜜の実習は、幸せにつながりますから、熱心な仏教徒でなくても行いたいものです。
彼岸初日の修行は「布施」です。
布施とは、他人に施すことです。
ここで、自己犠牲はいけません。
その行為で損失を感じたり、後悔しそうなら、やってはいけません。
犠牲を払うことなく、できる範囲で、「小さなことからコツコツと」で行いましょう。
それが無財の七施です。
これは、慈しみの眼で接することです。
相手を睨みつけるのではなく、優しい目つきで接しましょう。
二つ目は、和顔施 ( 和顔悦色施 )
いつも和かに、穏やかな顔で相手に接することです。
思いやりのこもった言葉遣いをすることです。
いわゆる奉仕活動、ボランティア活動です。
五つ目は、心施 ( 心慮施 )
他者に対する心配りです。
六つ目は、( 壮座施 )
電車やバスで、席を譲ることです。
立場や地位を譲ることも、これに当てはまります。
七つ目は、房舎施
雨の日に、人に軒先を貸して濡れないようにしてあげることです。
無財の七施は、何も犠牲にすることなく、簡単にできることばかりです。
習慣化して、無意識にできるようになれば、生きているだけで徳積みの日々です。
身につけてください。