人は、一旦、執着してしまうと、なかなか諦めきれません。
それが異性のこととなると、本能に基づくものですから、なおさら難しいものです。
性欲は、睡眠欲と並んで断ちきれないものです。
それは、修験道などの厳しい修行で、身も心も鍛え抜いている人も同じ。
女人禁制がしかれています。
生死の境目まで、生きるか死ぬかのぎりぎりの所まで修行しているところに女性が現われたら、もう、修行になりません。
命の危機にあるほど、子孫を残す本能が強くなりますから。
動物的なものなのですね。
左翼思想の人、学校の先生、女性活動家などは、歴史を知らないし、自らを極限まで追い込んだことがないので、女人禁制を「女性差別だ」と、考えますが。
これに関しては、人によって考えは色々でしょうけど。
西洋の修道院は、男子禁制です。
修道女達は、イエスをただ一人の男性として愛しているのです。
建前は。
男子禁制にしないと、成り立たないのですね。
余談ですが、先に挙げた人達が、「修道院は、男子差別だ。男子にも開放しろ」、と言ったのを聞いたことがありませんね。
話は随分逸れました。
とにかく、執着心を取り除くのは、努力や根性で出来るものではないのです。
そういう仕組み、環境を作る以外には、不可能です。
だから私たちが神社参拝で、祈りの締めくくりに「かんながらたまちはえませ ( 結果は神様にお任せします ) 」と唱えても、執着は消えません。
消えないものは仕方がないのですよ。
その苦しみを神様に訴えながら、乗り越えていくのが御魂磨きです。