日本の場合、多くの家が寺の檀家であり、神社の氏子です。
寺も神社も独立した宗教法人であり、一つ一つが「宗教団体」 でもあります。
そうは言っても、新興宗教の団体に入信する人が大勢いるのも、事実です。
なぜ、そういうものに入るのか。
まず、「寂しさ」 があるでしょう。
近頃の若者は、SNSでしかつながれないという人が、たくさんいます。
「いいね」 をくれる人が、「友達」 なんですね。
リアルなつながりが希薄ゆえに、誘えば、あっさり入信してしまいます。
宗教団体の方も、宗教色を消して接近し、相手に警戒させません。
友達になったり、占いに連れていったりして、徐々に深めていきます。
教団名も、「○○教」 ではありませんし、教祖サマは「○○先生」 です。
サークル活動、クラブ活動みたいな軽い気持ちで入信してしまいます。
「入信」 と言わず、「入会」 、「信者」 ではなく、「会員」 と呼ぶようですね、
そんなものですから、家族も気がつきにくい。
気がついた時には、すっかり洗脳されてしまっている、ということです。
高学歴の人、それも、東大や京大卒の超エリートが、なぜオウムに入信したのかについて、テレビのコメンテーター達は好きなことを言っています。
私が思うに、彼らが入信したのは、超能力が欲しかったのでしょう。
超エリート達は、総じて努力家です。
人の何倍も努力して、競争を勝ち抜いて大学に入って、そして知ったのは、「上には上がいる」 ということでしょう。
努力だけでは、どうにも超えられないものがあると。
極限まで頑張って、それでも目の前に壁があったら、どうしますか。
その時に出逢うもので、人生が決まります。
彼らは、たまたま、オウム真理教に出逢ってしまったのです。
「A教団」 と「B教団」 と「C教団」 を比較して、「A教団」 に入る、なんて人はいません。
苦しい時に、たまたま出逢ったものに縋り付いてしまうのです。
超エリートに限らず、人は誰しも、何かに縋り付きたい「弱さ」 があるのです。
自分で自分の弱さを認めてあげること。
それが、大切です。
新興宗教は、やめときましょうね。