日本人は無宗教だと、よく言われます。
特定の宗教を信仰しているのだと、はっきり言える人は少数派です。
家に仏壇があっても、自分は仏教徒だと自覚したり、仏教を信仰していると言える人は少ないでしょう。
それは、仏典を学ぶことが無いからです。
さて、宗教の定義として、「教え = 教義」の存在があります。
神道には教義がありません。
神道には、教えがないので宗教とはいえない、ということです。
用明天皇についての項に出てきますから、6世紀後半には使われていたのでしょう。
言葉自体は、そう古いものではありません。
古事記も日本書紀も神道の経典ではありませんし、大祓祝詞をはじめとする祝詞も教えではありません。
日本人は、教えを必要としない民族なのです。
教えてもらわなくても、何か疾しいことをしたとき、「お天道様が見ている」と感じるのです。
遺伝子に組み込まれているといっても、いいくらいです。
ご飯を食べるときには、手を合わせて「いただきます」と言います。
これは、五穀豊穣の神様に対する感謝の祈りが元になっています。
食事を用意してくれた人に対しての感謝なら、手を合わせません。
人に対して手を合わせて感謝するのは、すごい困難を救ってくれた時くらいでしょう。
心から有難いと思った時以外は、人に対して手を合わせることはありません。
たまに、厚かましい願いごとをするときに手を合わせて拝む人もいますが。
それはともかくとして。
正月は神社に初詣、ついでに寺にも初詣、七夕やクリスマスやハロウィーンなど他宗教の祭り事を楽しみ、葬式は仏教で、結婚式はキリスト教で。
カソリックとプロテスタントの区別がつかなくても、神父と牧師の違いも分からなくても、キリスト教で結婚式を挙げるのが、日本人です。
斎藤一人さんが、「何が正しいかで判断するのではなく、何が楽しいかで判断しよう」と言っていますが、まさにそれです。
静かな仏式の結婚式より、ウエディングドレスで華やかに式を挙げる方が楽しいのです。
日本人は、教祖サマに教えてもらわなくても、楽しく生きていける民族です。
誇りに感じていいと思います。