幼い頃から、勉強や運動や芸術に一所懸命に打ち込んできた人は、努力が身についています。
そのことが大好きで、側から見たら物凄く努力しているように見えても、本人は楽しくて仕方がない、というのなら大丈夫です。
そうではなく、親や教師に叱られるから、評価されたいから、有名になりたいから頑張った人は、努力が苦痛であったはずです。
その苦痛に打ち勝って、それなりのものを手に入れた人は、「努力すれば成功できる」という方程式ができています。
新たな目標を定めたら、どんなに苦しくても、それを得るために努力し続けることができます。
目標達成のためには、色々なものを犠牲にすることも、睡眠を削ることも厭いません。
こうして頑張って、頑張っての日々を続けていると、努力しない人を見下すようになります。
また、楽して金儲けしている人、スイスイ成功していく人を受け入れられなくなります。
このように頑張っている、つまり我を張っている人は神様から遠ざかりますから、大きな成功は得られません。
頑張った分だけの報酬すら、得られるかどうか分かりません。
それよりも、半分、神様に委ねた方が楽ですし、確実です。
全部委ねて、自分は寝ているだけでは、何も得られません。
半分委ねて、直感やひらめきを与えてもらって、それに従って動くのです。
ひらめきは、成功への最短距離を示してくれています。
努力、努力の人生を送ってきた方は、半分神様に委ねましょう。
苦痛に満ちた人生より、明るく楽しい人生の方がいいでしょう。
しかし、努力癖のついている人は、努力しないではいられません。
努力しなければならない、頑張らねばならないと、信じ込んでいます。
努力さえやめれば、ひらめきを受け取れるのに。
もったいない話です。
我を張るから、メッセージがキャッチできないのです。
ゆったりとくつろいだら、ひらめきがやってきます。
努力しないでいられないなら、努力しない努力をしてください。
工夫して、努力しない1日を過ごしてみてください。
降ってくるものを、受け取ることができますよ。