「意欲に満ちよう」と思っても、意欲は満ちません。
身体が健康で、夢や目標があって、それを実現するのだという意志が強くなければ、意欲に満ちた日々は過ごせません。
まず、欲があるかどうか。
欲のない人に「欲を持て」と言っても、無理です。
欲深い人が欲望を捨てる修行はできますが、その逆はできません。
仏教では欲を捨てよと言いますが、神道は意欲に満ちた日々が求められます。
真逆です。
一般に「欲が無い」というのは、物欲や名誉欲が無いことを指します。
心理学者アブラハム・マズローは、欲求を五段階に分類しました。
人として誰でも持っているのが、生理的欲求です。
現代の日本では、生理的欲求を満たすのに意欲に満ちる必要はありません。
2段目の安全欲求を満たすために、意欲に満ちることもありません。
日本で暮らしている限り、ほぼ普通に手に入ります。
今の時代、多くを望まない限り、流されているだけでも生きていけます。
逆に、みんなと同じであることを強要されますから、突き抜けようとすれば、足を引っ張られます。
意欲に満ちることが難しい時代だと言えるでしょう。
しかし、流されるだけでは、この世に生まれた甲斐というものがありません。
自分のことで欲望が持てない人は、家族など大切な人のためを考えてみてはいかがでしょうか。
配偶者、子、孫、恋人などのためなら、命を懸けられるという方もいらっしゃるでしょう。
普通、大切な人の幸せのために何かしてあげたいと考え始めたら、あれもこれもと、欲が出てくるはずです。
また、もともと意欲的で、パワフルに進んでいる方は、足を掬われないよう気をつけてください。
神様に祈り、常に神様と共にある日々なら、直感・ひらめきで、危機を避けることができます。
神様と二人三脚で進んでいくつもりで、夢や目標をたくさん達成してください。