困ったときだけじゃない神頼み

神社参拝だけでなく、スピリチュアルな分野も使って開運する方法を紹介しています。

ネガティブな感情の活用

行動を促すために、ネガティブな感情を使いましょうと書いてきました。

 

ポジティブな感情は、誰かの心ない一言で消えてしまうことがあります。

 

しかしネガティブな感情は、誰に何を言われても消えません。

 

それどころか、とやかく言われるほど強くなる傾向があります。

 

活用しない手は無いでしょう。

 

ただし、条件があります。

 

あなたは、「ネガティブな感情は悪いものだ」と思っていませんか。

 

そう思っている限り、これをうまく活用することはできません。

 

悪いものだと信じているのですから、使えば使うほど、罪悪感が募ります。

 

やがて自己嫌悪、自己否定に陥ってしまうでしょう。

 

ネガティブな感情は、本能的なものであり、自然のものです。

 

身を守るために必要なものです。

 

自分が持っているネガティブな感情を、一つずつ洗い出してみてください。

 

そして、その感情を持っていることを認めます。

 

「こんなことを感じてはいけない」と否定しないで、「そう感じるのは当然のことだ」と、認めましょう。

 

それが第一段階です。

 

認めたら、そういう自分であることを受け入れます。

 

「私はそう感じるのだ。それが何か ? 」

 

「私はそう感じるのだ。それがどうかしたのか ? 」

 

そして、これからも、そのネガティブ感情を持つことを自分に許可します。

 

ここまできたら、もはや悪いものだとは思っていないので、いくらでも活用できます。

 

それは他人に毀損されることのない、強いエネルギー源です。

 

どんどん活用して、人生を広げていきましょう。

 

 

 

 

「見返してやる」という気持ち

危機感を持ち、「〜を避けるために」という感情は、行動を促します。

 

同様に、「〜を見返してやる」も、行動への原動力になります。

 

復讐心や屈辱感、恨み、嫉妬心は、負の方へ向かうと犯罪や自死に繋がります。

 

これを正の方に向ければ、自らの目標達成への強いエネルギーになります。

 

これらは、決して明るいもの、軽いものではありません。

 

心は、荒んでいるでしょう。

 

夢を実現するんだという希望に満ちているのではなく、相手よりも上に立って「見返してやる」と思っているのです。

 

暗く、ドロドロした感情です。

 

それでも、強い推進力を得て、目標達成に向けて進んでいけます。

 

一歩も動かず、昨日と同じ今日を繰り返すだけの人生に比べたら、確実に進歩しています。

 

経験も積み、学ぶことも多いでしょう。

 

目標を達成した時には、復讐心など、すっかり忘れているかもしれません。

 

敵だと思っていた相手よりも、自分は遥か上にいるのですから。

 

逆に、成功して力を得たことで、本当に復讐を実行してしまうかもしれません。

 

「見返してやる」という動機は、諸刃の剣です。

 

でも、使う価値はありますよ。

 

 

変わるために

どうしても変わりたいのなら、脳による強力なブロックをぶち壊さなければなりません。

 

これには、荒治療が必要です。

 

まず、夢や目標が明確でないと、変わることはできません。

 

そして、必ずそうなるのだという意志を持たなければなりません。

 

多くの方は、ここまでは出来ますし、やっていると思います。

 

ここまでは気持ちの問題で、肉体的には一歩も動いていませんから、何の変化も起きていません。

 

そして、ここからの第一歩を踏み出すことが、なかなか出来ません。

 

そこで、危機感を使いましょう。

 

その夢や目標を実現しなかったら、どんなに辛いか、どんな不利益があるか、どんなに惨めかなど、実現しなかった時に起きるであろう悪いことや、味わうであろうネガティブ感情を想像してみてください。

 

徹底的に。

 

きっと、避けたいと思うはずです。

 

不幸で辛い思いは、絶対にしたくないでしょう。

 

何もしなければ、残りの人生は悲惨なものになるはずです。

 

不甲斐なさに苛まれながら、惨めに余生を送っていくのです。

 

何年も、何十年も。

 

そして寿命が尽きる時には、大きな後悔だけが残っているでしょう。

 

いったい何のために生まれてきたのかと、情けなくて、死んでも死にきれないのではないでしょうか。

 

それらに比べたら、一歩を踏み出すことくらい、何でも無いはずです。

 

長く続く惨めな人生より、一歩を踏み出す方が苦しいなんてこと、あるわけがありません。

 

一歩を踏み出さない人は、変わらなかった時に味わう、屈辱と忍耐と悲惨さだけが続く長い余生の時間から、目を逸らせているのです。

 

変わらなかった時の、不幸な人生をイメージしてください。

 

イメージできたなら、それは実現する可能性があります。

 

今、一歩を踏み出さなかったら、その人生になるのです。

 

嫌ですよね。

 

私は、嫌ですよ。

 

 

 

 

 

 

変わりたくても変われない

今日は一年のうちで、昼間の時間が一番長い日でした。

 

明日から日が短くなりますが、幸いにして気温が上がっていきます。

 

それで、寂しく感じることがありません。

 

気温が上がるほど動きやすくなりますから、どんどん行動していきましょう。

 

世の中の多くの人は、「今のままで十分幸せだ」とは思っていません。

 

恵まれている人でも、あれも欲しい、これも欲しい、ああなりたい、こうなりたいと、欲望は尽きません。

 

物欲を捨てる修行をしている人は、精神的にもっと成長したいと願っているでしょう。

 

現状に満足しておらず、「変わりたい」と誰しもが思っています。

 

しかし、思っているだけで、変わろうと努力する人は極めて少数です。

 

「変わりたくても変われない」と悩む人は、それが正常なのです。

 

脳は、変化を嫌います。

 

昨日まで無事に過ごせたのだから、今日、いつもと違うことをしたら無事でいられないかもしれない。

 

変化は危険を伴いますから、脳が許さないのです。

 

それは、自分自身だけでなく、家族、友人、地域、国に対してもです。

 

自分とは利害関係の無い組織や外国に対してさえも、変化を嫌います。

 

変わるためには、この本能に打ち勝たなければなりません。

 

これは、とても困難なことですから、「変わりたくても変われない」人ばかりなのです。

 

あなたは、どうですか。

 

 

明日は夏至

明日、6月21日は二十四節気の第10「夏至」です。

 

明日1日を指す場合と、小暑までの半月間を指す場合があります。

 

ほとんどの人は、明日1日だけを指す言葉だと思っています。

 

七十二候は

 

初候・・・乃東枯 ( ないとう かるる ) : 夏枯草が枯れる

 

次候・・・菖蒲華 ( しょうぶ はなさく ) : あやめの花が咲く

 

末候・・・半夏生 ( はんげ しょうず ) : 烏柄杓が生える

 

ついこの間、冬至だと思っていたのに、もう夏至なのですね。

 

物理的に時間の進むのが速くなっているのではないかと、勘ぐりたくなるくらいです。

 

あなたは、新たなことに挑戦したり、今まで出来なかったことが出来るようになったりしていますか。

 

昨日の自分と比べて、成長していますか。

 

先週の自分、先月の自分、去年の自分と比べて、どうですか。

 

去年と変わっていないと感じる方は、要注意です。

 

現状維持は、衰退です。

 

この辺りで、気持ちを入れ替えましょう。

 

嬉しいことに、明日は一粒万倍日です。

 

蒔いた種が、やがて万倍になって収穫できるという日です。

 

新しいことを始めるのに最適の日と言えます。

 

さあ、積極的に動いて、変化を呼び込みましょう。

神棚

神社に参拝するから神棚は必要ない、などと考えている方はいないと思います。

 

神棚は必須とまでは言いませんが、無いよりは、あったほうがいいに決まってます。

 

神棚を設置しても、そこに神様が降臨されるわけではありません。

 

神棚は、いわば神社の出張所、神様との通信基地です。

 

神棚に祈りを捧げることで、神様に届きます。

 

また、神社で授かってきた御札から、御神氣が家中に行き渡ります。

 

御神氣とは、神様のエネルギーです。

 

それによって邪気が祓われ、住んでいる人の運が良くなっていきます。

 

神棚が無い方は、是非、設置してください。

 

設置すべき場所には、注意点がたくさんあって、いざとなると面倒かもしれません。

 

まず、鬼門 ( 家の中心から北東方向 ) 、その反対側の裏鬼門 ( 南西 ) の方角は避けてください。

 

高さは、立っている人の目より上。

 

東、東南、南向きになるようにしてください。

 

二階建て以上の住宅では、一階に設置し、神棚の上の階で人が歩かない場所。

 

集合住宅では、これはどうしようもありません。

 

この場合、天井に「雲」と書いた紙を貼り付けます。

 

神棚の真後ろが、トイレや風呂にならないようにしてください。

 

賃貸住宅で、勝手に設置できない場合は仕方がありません。

 

御札は箪笥の上などでも構いませんので、目より高い位置に置いてください。

 

目より高い位置にするのは、神様に対する敬意です。

 

ちなみに仏壇は座って祈りますから、神棚より低くなります。

 

場所がないからといって、仏壇の上に直接、御社や御札を置いてはいけません。

 

仏壇の真上に神棚を設置するのは、構いません。

 

棚の材料は、ホームセンターで手に入るもので構いません。

 

檜でなければダメだとか、そんな掟はありません。

 

合板と金属製のエル字棚受けを使えば、簡単に作ることができます。

 

神棚を設置すれば、神様に向かう気持ちも変わりますよ。

 

 

神棚拝詞

先日、神社拝詞の復習をしました。

 

覚えられましたか。

 

最初は、書いたものを見ながら奏上されるといいでしょう。

 

そのうちに覚えてしまいます。

 

さて、もう一つ、神棚拝詞も復習しましょう。

 

これは、神社拝詞と、ほぼ同じです。

 

 

神棚拝詞
 
此れの神床に坐ます 掛けまくも畏き天照大神 ( これのかむどこにまします かけまくもかしこきあまてらすおおみかみ )
 
産土大神達の大前を拝み奉りて 恐み恐みも白さく ( うぶすなのおおかみたちのおおまえをおがみまつりて かしこみかしこみももうさく )
 
大神達の広き厚き御恵みを 辱み奉り ( おおかみたちのひろきあつきみめぐみを かたじけなみまつり )
 
高き尊き神教のまにまに 直き正しき真心もちて ( たかきとうときおしえのまにまに なおきただしきまごころもちて )
 
誠の道に違ふことなく 負ひ持つ業に励ましめ給ひ ( まことのみちにたがうことなく おいもつわざにはげましめたまい ) 
 
家門高く 身健に 世のため人のためにつくさしめ給へと ( いえかどたかく みすこやかに よのためひとのためにつくさしめたまえと )
 
恐み恐みも白す ( かしこみかしこみももうす )
 
 
初めの部分が違うだけですね。
 
自宅の神棚に祈りを捧げるときは、こちらを使ってください。
 
このような祝詞から始めると、気持ちが乗ってきます。
 
二礼二拍手一礼してすぐに「神様・・・」では、唐突すぎて、気持ちが乗りにくいものです。
 
祈りとは、「意乗り」です。
 
気持ちを言葉に乗せないと、神様に通じません。
 
神棚拝詞を唱えてから祈るのと、いきなり「神様・・・」と祈るのと、その後の現実で何か違いがあるのか、是非、自分で試してみてください。