劫は、個人だけのものではありません。
家 ( 家系 ) の劫、地域社会の劫、国の劫、さらに人類の劫があります。
代々、悪事を積み重ねてきた家には、家の劫があります。
バケツに水を入れていくとき、横から見ても見えません。
溢れ出たとき、溜まったことに気づきます。
家の劫も、溜まって溢れ出たときが、あがなうときです。
火事で一家全員焼け死んだり、事業に失敗して全財産を失ったり。
先祖代々積んできた劫を、罪を犯していない子孫があがなうというのは、理不尽ですね。
国の劫なら、戦争です。
国民の多くが犠牲になり、国土が荒廃する。
何の罪も犯していない赤ちゃんまでも、犠牲になりますから、理不尽です。
今世、この世から見れば納得できないことでも、神の目から見れば当然のことであり、計画したことなのです。
神の計画のことを、かつて一大勢力を誇った宗教団体「大本 ( おおもと ) 」では、神仕組み ( かみしぐみ ) と呼んでいました。
大きな災害があっても、「神が仕組んだことなら、仕方がない、相応の理由があるのだ」、とするのも一つの考え方であり、それで救われる人もいます。
戦争や災害で夭折した赤ちゃんは、例えば、300年あの世にいて、この世で二ヶ月過ごして、またあの世に戻ったということです。
あの世側に視点を移せば、ちょっとだけこの世に出掛けていた、となります。
あの世で神様から、「すまんが、二月ほど、あっちの世界へ行ってきてくれないか」、と選ばれて生まれてくるのでしょう。
国や社会の劫を祓うという大役を果たすのですから、大きな徳積みになり、あの世に戻ったときの待遇が上がります。
次に、この世に生まれてくるときは、大きな徳を持って生まれてきますから、幸せな人生となるでしょう。
あるいは、より大きく成長するため、試練の道を選ぶかもしれませんけど。
それはともかくとして、災害に遭えば、神様に文句を言いたくもなります。
そんな時は、神社に行って、素直に心の内を祈りましょう。
神様は、素直な人が好きですから、答えがいただけます。