神社参拝における作法は、ここでも何度か紹介してきました。
何事も、形から入ることは、大切なことです。
真心が籠もっていたら、それで良いんだ、というのは傲慢です。
真心があるなら、作法を守るはずですから。
形だけで、心の中は欲望ギラギラというのも、いけませんが。
神仏への祈りは、オカルトのテクニックではないので、きっちりと作法通りに祈っても、願いは叶いません。
他人を不幸にしてでも、自分の願望を実現したい人は、オカルトに走るでしょう。
それで上手くいったとしても、しっぺ返しがあります。
真心は大事です。
そして、真心があるなら、作法を覚えましょう。
天津祝詞を、覚えて下さい。