神様に通じるのは、真心です。
欲望の限りをおねだりしても、叶えてはくれません。
大事なのは、真心です。
かといって、真心だけでも、なかなか聞いてくれません。
そこで、言葉を尽くす必要があります。
神社で正式参拝したことのある方は、神主の奏上する祝詞を聞いたことがあるでしょう。
天津祝詞の後に、申込者の願い事を切々と、神様に取り次いでくれます。
自分で祈る場合も、いろいろと表現を変えながら、心の内を訴えましょう。
祝詞のように古語を交えると、気分が乗ってきます。
古今集などの和歌集や、百人一首に親しむと、それなりの祈りの言葉が出やすくなりますよ。
祈る時は、全てを出し切りましょう。
こんな事を祈ったら失礼ではないか、神様がお怒りになるのではないか、こんな事を祈るのは恥ずかしい、などのことも、全部吐き出しましょう。
神様から見れば、私達は未熟者です。
多少の失礼は許して下さいますし、怒ることはありません。
恥ずかしさは、克服して下さい。
神様以外に聞いている人はいませんから、あまり気にしなくても良いのではないでしょうか。
特に、神社参拝の折には、あれもこれも、全部祈ってしまいましょう。
それも、真心です。
「神様は全知全能だから、心の内を読み取って願いを叶えてくれる。だから感謝だけしておけば良いのだ。」 というのは、傲慢です。
格好付けずに、甘えてみましょう。
可愛らしい子犬が懐いてきたら、思わず抱き上げて撫でたりしませんか。
私達は、子犬みたいなものなのですよ。