原始時代、男は狩りに出て、女は子供を守っていました。
この時、男が無事に帰ってくるようにと願ったことが、祈りの始まりだと言われています。
また、出産の時、無事生まれてくることを願ったのが始まりだ、との説もあります。
いずれにせよ、祈る側は心配だったのです。
心配のとき、ただ気を揉んでいても、不安が募るだけです。
未来のことに関しては、不安になるのは仕方がありません。
不安材料を集めて気を揉むことが、問題です。
不安は、小さい内に、神仏や守護霊に投げかけましょう。
愚痴を聞いてもらうように、不安を聞いてもらいましょう。
不安を預けてしまうのです。
それだけでも、随分安心します。
祈っていれば、第三者を通して、進むべき道、取るべき手段などのヒントが与えられます。
ふと目にしたもの、ふと耳に入ってきたことで、心にスパッと突き刺さることがあります。
それが、神仏や守護霊の答えです。
3回、同じ方向性が与えられたら、確実ですから、それに従いましょう。
常に祈り、常に答えをいただき、いつも身近な存在として神仏や守護霊と接していれば、安心して日々を過ごせます。
「こんな事を祈るのは、失礼だ。」
「恥ずかしい。」
「軽蔑されるかも・・・。」
みたいに、遠慮する必要はありません。
何でもかんでも素直に話せば、相手も、嬉しいでしょう。
神仏や守護霊にしてみれば、我々は孫やひ孫みたいなもので、可愛くて仕方がないはずです。
たぶん。
たとえ戒められても、愛の鞭だと思い、甘んじて受けましょう。
その上で、痛ければ「痛いです。」 と、訴えればよいのです。
神仏や守護霊には、素直なのが一番。
不安は、小さい内に祈りで解消してしまいましょう。