神道における穢れとは、「汚らわしいやつだ」という時とニュアンスが違います。
言霊で、穢れ = 氣枯れ。
氣が枯れるとは、がっかりすることです。
その最大のものは、大切な人を亡くしたことでしょう。
喪に服するのは、氣が枯れているからでもあります。
家族を亡くしたら、しばらく神社参拝を控える方も、いらっしゃいます。
この他にも、がっかりすること、させられることは、生きている限り避けられません。
期待が大きい時、努力する人、いつも挑戦し頑張る人ほど、がっかりする機会も多いし、落胆の度合いも大きいものになります。
「がっかり」は、期待を裏切られることで生じますから、一切の執着をなくしてしまえば、がっかりすることもなくなるでしょう。
それは悟りの境地ですから、もはや菩薩か如来か神様です。
この世に生まれて修行する必要はありません。
私たちの目指す境地です。
そこに至るまでは、氣が枯れて「穢れる」のは仕方がありません。
罪と同じく、必然のものであり、頻繁にあることですから、半年に一度という高頻度で、人形 ( ひとがた ) を書いて祓っていただける方法が、赦されているのです。
罪も穢れも、いわば重荷です。
重い荷物は捨ててしまった方が、楽に歩いていけます。
ただ人形を書くだけで、罪穢れを祓っていただけるのですから、書かないという手はありません。
もし50年続けたら、100回になります。
一度も祓うことなく過ごしてきた人と、100回祓ってもらった人の人生が、同じであるわけがありません。
どうか、この稀有の機会を、お見逃しすることのないように。
もう一つ。
明日は天赦日です。
年に5〜6回しかない、最高の吉日です。
天が赦す日と書いて、天赦日。
また、二十八宿の牛宿の日です。
これは、鬼宿に次ぐ幸運日です。
さらに明日は、一粒万倍日です。
吉が三つも重なる幸運日ですから、有効に活用してください。