神道では、御魂を磨くために、この世に生まれてきていると考えます。
仏教では、最終的に仏になるために、輪廻転生を繰り返すと考えます。
その教えの中に、「衆生所遊楽」というものがあります。
そのまま訳せば、この世は楽しく遊ぶところだ、です。
ここから、スピリチュアルの世界では、「私たちは、この世界に遊びに来ているのだ」と解釈して、伝えている人がいます。
本来は、「悟りの境地にいたれば、この世は自由で楽しいところだ」ほどの意味です。
悟りを開くまでは、前世の刧を祓ったり、また正義や欲望のために刧を積んだり、勉強したり、喜んだり、楽しんだり、徳を積んだりと、菩薩の修行をするのです。
正義は時代によって変わりますから、この世で正義を行っても、あの世から見れば刧を積む場合もあります。
それはともかくとして。
修行は、厳しいものです。
スピリチュアルの人がいうように、「遊びに来ているのだ」と考えて、何があっても深刻に捉えないのは、良いことかもしれません。
どんな遊びでも、ルールがあって、技術を要し、頭も使って、少し難しいほど、楽しく面白いものです。
この世の人生も、少しばかりの困難があった方が面白いのだ、と考えてみましょう。
遊びなのだから、簡単にできてしまったら、つまらないのだと。
困難なことに出くわしたら、「やってやろうじゃねぇか」とワクワク燃えてくるようになれば、人生は楽しいことばかりです。
迎え撃つ心で、大いに楽しもうではありませんか。