自分に起きることは、自分が引き寄せたものです。
前世の徳分が沢山ある人は、喜びごとが沢山起きます。
刧が多い人は、辛いことが沢山起きます。
だいたい、徳の多い人は明るくて元氣なので、さらに明るく元氣になることを引き寄せます。
刧の多い人は暗くて後ろ向きなので、氣分を落ち込ませることを引き寄せます。
どちらの場合も、起きたことは、単に「起きたこと」です。
それをどう意味付けるかで、受け取り方が違ってきます。
先の震災での話です。
帰省中に震災に遭って、家が倒壊し、生き埋めになった人がいました。
その人は、「何のためにこんな目に遭っているのか」考えたそうです。
その人は、それまで親の希望に沿った人生を送ってきたことに思いを致し、「こんなところで死ねない。自分の人生を生きるのだ。」と、思いが湧き上がってきました。
そして、自力で瓦礫をかき分けて脱出したそうです。
その人にとって震災は不運ではありましたが、人生の転機でした。
それも、他人の人生から自分の人生に切り替える、とても重要な分岐点でした。
出来事は、単に出来事です。
事故、病気、災害など辛い目にあった時、それに対する意味づけで、その後の人生が変わります。
感情に流されて、そのまま不幸に落ちていくのか。
知性を使って、前向きな、発展的な意味づけをして、幸福につなげていくのか。
選択するのは、自分です。
人は、不幸に浸っている時の氣分に酔うことがあります。
そうなってしまうと、自力で這い上がるのは難しくなりますから、氣をつけてください。