困ったときだけじゃない神頼み

神社参拝だけでなく、スピリチュアルな分野も使って開運する方法を紹介しています。

より多くの罪穢れを祓っていただくには

神様から授かる御神徳は、自分が持っている徳分相応です。

 

日頃から徳積みに励んでいて、たくさんの徳分を有している方は、たくさんの罪穢れを祓ってもらえるでしょう。

 

徳積みとは、人を幸せにする行為です。

 

神様になり代わって人々を幸せにしたのですから、ご褒美がいただけるのは当然のことです。

 

是非、人形 ( ひとがた ) を書いて、更なる幸福な人生、大きな徳を積める人生を歩んでください。

 

徳積みを怠ってきた方にも、より多くの罪穢れを祓っていただく手段はあります。

 

それは、真心からの誓いです。

 

今後、世のため人のために大きく貢献していきますと、神様に約束するのです。

 

誓ったからには、次の半年間は、全力で約束を果たしてください。

 

破れば、もう、この方法は使えません。

 

それどころか、眷属に戒められるかもしれません。

 

自信がない方は、納める玉串に真心を込めましょう。

 

少し痛いくらいの額にすると、真心がこもります。

 

少なすぎると侮りますし、多すぎると、損した気分になって後悔してしまいます。

 

そこに真心はありません。

 

ちょっと痛いと感じる金額は、その人の経済状況によって違いますから、ここで適当な額を示すことはできません。

 

食事の一回分くらいとか、飲み代の一回分くらいとか、何か少し我慢することと引き換えにするのも良いかもしれません。

 

真心の分だけ、多くの罪穢れを祓っていただけるでしょう。

 

 

罪穢れ 2

神道における穢れとは、「汚らわしいやつだ」という時とニュアンスが違います。

 

言霊で、穢れ = 氣枯れ。

 

氣が枯れるとは、がっかりすることです。

 

その最大のものは、大切な人を亡くしたことでしょう。

 

喪に服するのは、氣が枯れているからでもあります。

 

家族を亡くしたら、しばらく神社参拝を控える方も、いらっしゃいます。

 

この他にも、がっかりすること、させられることは、生きている限り避けられません。

 

期待が大きい時、努力する人、いつも挑戦し頑張る人ほど、がっかりする機会も多いし、落胆の度合いも大きいものになります。

 

「がっかり」は、期待を裏切られることで生じますから、一切の執着をなくしてしまえば、がっかりすることもなくなるでしょう。

 

それは悟りの境地ですから、もはや菩薩か如来か神様です。

 

この世に生まれて修行する必要はありません。

 

私たちの目指す境地です。

 

そこに至るまでは、氣が枯れて「穢れる」のは仕方がありません。

 

罪と同じく、必然のものであり、頻繁にあることですから、半年に一度という高頻度で、人形 ( ひとがた ) を書いて祓っていただける方法が、赦されているのです。

 

罪も穢れも、いわば重荷です。

 

重い荷物は捨ててしまった方が、楽に歩いていけます。

 

ただ人形を書くだけで、罪穢れを祓っていただけるのですから、書かないという手はありません。

 

もし50年続けたら、100回になります。

 

一度も祓うことなく過ごしてきた人と、100回祓ってもらった人の人生が、同じであるわけがありません。

 

どうか、この稀有の機会を、お見逃しすることのないように。

 

もう一つ。

 

明日は天赦日です。

 

年に5〜6回しかない、最高の吉日です。

 

天が赦す日と書いて、天赦日。

 

また、二十八宿の牛宿の日です。

 

これは、鬼宿に次ぐ幸運日です。

 

さらに明日は、一粒万倍日です。

 

吉が三つも重なる幸運日ですから、有効に活用してください。

 

 

罪穢れ

大祓神事に向けての人形 ( ひとがた ) を書いて、罪穢れを祓っていただきましょう。

 

神道における罪穢れとは何か。

 

以前に説明しましたが、復習しておきましょう。

 

現代の刑法における罪は、神道でも罪に当たります。

 

罪を犯して法的に赦されるためには、裁判を受けて、その結果に従わなければなりません。

 

この世的にはそれで赦されますが、神様に赦されたどうかは、わかりません。

 

さて、神道における罪は、刑法で記されているものより、もっと広い範囲に及びます。

 

まず大祓祝詞にある、天津罪や国津罪。

 

その中には、時代にそぐわないものもありますが。

 

一般に、人を苦しめる行為が罪になります。

 

外的に傷を負わせるだけでなく、心を傷つけるのも罪になります。

 

親切にしたつもりが返って相手を傷つけてしまった、というのも罪です。

 

他人だけでなく、自分で自分を傷つけることも罪です。

 

これらは、知らないうちに犯してしまうことが、よくあります。

 

気づかないうちに、たくさんの罪を積んでいるかもしれません。

 

言霊で、「罪 = 積み」です。

 

どんなに注意していても、社会や他人と関わる限り、誰も傷つけずにはいられないでしょう。

 

人の心は読めません。

 

傷つけるのが怖いからといって、何もしないわけにはいきません。

 

人と関わり、相手を幸せにしようとする行為は、幸魂磨き、和魂磨きです。

 

御魂磨きを怠るのは、「怠りの罪」に当たります。

 

努力しないことも、罪なのです。

 

結局、神道的な罪を犯さずには、生きていけません。

 

それで、半年に一度、人形を書いて赦していただける方法が、授けられているのです。

 

 

 

 

 

 

人形 ( ひとがた ) のシーズン

6月末に行われる夏越の大祓に向けて、全国の神社で人形の受付が始まっています。

 

初めての方のために、説明しましょう。

 

人形とかいて「ひとがた」と読みます。

 

半紙を10センチ程度の大きさの、人の形に切り取ったものです。

 

これに名前や生年月日などを書いて、息を吹きかけます。

 

今は感染対策として、息の吹きかけをやめてもらっている神社もあります。

 

身体の具合の悪いところに、人形を擦り付けても構いません。

 

息を吹きかけたり、擦り付けたりして、罪穢れを人型に移します。

 

もちろん、名前を書いただけでも移ります。

 

そしてこれを、大祓神事にてお焚き上げします。

 

また、水溶性の紙でできていて、水に流す神社もあります。

 

大祓神事は、年に2回行われます。

 

私たちは人形を書くことで、知って犯した罪穢れ、知らずに犯した罪穢れを祓っていただけます。

 

その際のお玉串は、ご随意です。

 

五円でも、十円でも、千円でも、自分の思う額を納めましょう。

 

少し痛いくらいの額が、適切です。

 

人形は、半年に一度の貴重な機会です。

 

夏越の大祓神事の前後には、境内に茅の輪が設置されます。

 

これは、年末の年越しの大祓には、ありません。

 

茅の輪くぐりができるのは、この時期だけです。

 

大きな神社だと、参拝するだけで邪気が祓われますが、その上に茅の輪くぐりで祓っていただき、さらに人形で祓っていただけるわけです。

 

すごいですね。

 

邪気や罪穢れは、開運の妨げになります。

 

それを取り除いていただけるのです。

 

人形は、神事が行われる日の午前中まで受け付けていますから、万難を排して書いてきてください。

 

 

 

紫陽花のおまじない

今日は芒種、そして6月6日は「紫陽花のおまじない」をする日です。

 

トイレに紫陽花を吊すおまじないです。

 

これは、6月の6のつく日に紫陽花をトイレに吊るすと、女性は下の病気に罹らない、というものです。

 

また、将来、下の世話にならずに済む、とも言われています。

 

紫陽花の葉に毒があるためか、昔の人は、魔除けの霊力があると考えたのでしょう。

 

6日だけでなく、6月の6のつく日、つまり16日と26日でも良いようです。

 

また、今年の旧暦6月6日は、新暦で7月4日です。

 

16日は7月14日、26日は7月24日です。

 

古来の風習は、新暦より旧暦で行う方がしっくりきます。

 

日本列島は南北に長いですから、花が咲く時期に合わせてください。

 

いつ行うにしても、おまじないですから、あまり深刻にならず、気合を入れ過ぎないことが大切です。

 

ワクワクしながら、楽しみましょう。

 

やり方を説明しましょう。

 

紫陽花の花を和紙で包んで、紅白の水引で結びます。

 

和紙の代わりに習字用の半紙でも構いません。

 

また、紅白でなく金の水引を使うと金運に恵まれる、という説もあります。

 

魔除けや金運を求めるなら玄関や軒先に、下のこと対策にはトイレに吊るします。

 

下向きです。

 

毎年されている方は、一年経ったものを捨てる時には、感謝の気持ちを伝えてください。

 

塩で清めたり、お焚き上げしたりする必要はありません。

 

しても構いません。

 

あなたの気持ち次第です。

 

 

明日は芒種

明日6月6日は、二十四節気の第9「芒種」です。

 

明日1日だけを指す場合と、夏至までの半月間を指す場合があります。

 

明日1日だけを指す場合が多いようです。

 

七十二候は

 

初候・・・蟷螂生 ( とうろう しょうず ) : 蟷螂が生まれる。

 

次候・・・腐草為蛍 ( ふそう ほたると なる ) : 腐った草が蒸れて蛍になる。

 

末候・・・梅子黄 ( うめのみ き なり ) : 梅の身が黄ばんで熟す。

 

梅酒を作る季節です。

 

昨年、我が家では完熟梅をウイスキーに漬けました。

 

これは、大正解でした。

 

完熟梅だと、酸味がまろやかです。

 

ウイスキー感は、ほとんどありません。

 

これを炭酸水で割ると、完璧です。

 

今年は、また、別のものを考えています。

 

未知のことを試すのは、どんなことであれ、ワクワクするものですね。

 

あなたも、初めてのことを試して、ワクワク・ドキドキの毎日を送ってください。

 

昨日と同じ今日を過ごすのは、勿体無いですよ。

 

100冊読むか、1冊を100回読むか

メンターに巡り会えない人は、読書が頼りです。

 

私は年間、最低100冊は読みましょうと、何度も書いてきました。

 

100冊くらい読まないと、良書には出会えません。

 

私の場合、本選びの基準は、本屋さんでなら、ピンときたものです。

 

ネットで注文する場合は、成功した人が読んできた本です。

 

ビジネス雑誌などでは、時々、おすすめ本の特集が組まれます。

 

そこで紹介していた本を、片っ端から読んでいます。

 

ビジネス書、小説、古典、自己啓発書、宗教書などジャンルを問わず、大量に読書します。

 

暗記しようとはしません。

 

脳は、一度見たことは記憶しているそうです。

 

思い出せなくても、読んだ本の内容は、思考の土台として蓄積されていきます。

 

あなたも速読を身につけて、多種多様な本を大量に読んでください。

 

さて、ある人が、「100冊読むより、1冊を100回読んだ方がいい」と言っていました。

 

何かスキルを得るためなら、「これだ」という本を繰り返し読むのがいいでしょう。

 

読んで実践し、また読んで修正して実践しを繰り返して、スキルを身につけるのが常套でしょう。

 

読み返すたびに、新しい発見があります。

 

ただ、数回繰り返すと、飽きてきます。

 

とても100回は、続きません。

 

本で学べる程度のことは、10回も読めばマスターできるでしょうね。

 

ノウハウを学ぶための本以外で、私は、古事記論語などの古典を繰り返し読みます。

 

古典は、時の試練を超えて残ってきたものですから、中身が濃く、読むたびに気づきがあります。

 

前回読んだ時よりも自らが成長していますから、同じ箇所でも、受け取る意味合いが変化しているのです。

 

古典は、繰り返し読むことをお勧めします。