「信じるものは救われる」は、聖書の言葉です。
これは、数学的には必要条件であり、十分条件ではありません。
つまり、救われるためには神様を信じる必要がありますが、信じるだけでは救われません。
この記事を読まれているような方は、神様の存在は信じていらっしゃるでしょう。
無神論者は、神様と聞いただけで毛嫌いしますから。
それはともかくとして。
あなたは、神様の何を信じていますか。
実在していること。
自分のことを分かってくださっているということ。
願い事を聞いてくださるということ。
願い事を叶えてくださるということ。
正しい方へ導いてくださるということ。
悪者を裁いてくださるということ。
見守ってくださっているということ。
など、人それぞれでしょう。
さて、あなたは神様に願い事をして、その願いが叶う方向に行動していますか。
祈願した後、何の躊躇もなく、目的に向かって進んでいますか。
神様に全幅の信頼を寄せているなら、そうしているはずです。
そのようであれば、正しく導かれていきます。
正しい良い願いなら、速やかに叶うでしょう。
間違った願い事なら、行き詰まって、正しい方向のヒントが与えられるでしょう。
信じるものは救われるとは、そういうことです。
祈願したけれども、不安があって、一歩が踏み出せない方は、神様への信頼度が低いといえます。
神様の方も、あまり信用してくれない人に対して、何とかしてやろうという熱意は低いでしょう。
一歩が踏み出せない方は、その事を祈りに入れてみましょう。
「証を見せてください。」と、祈るのです。
神様は見えないし、声も聞こえないし、触ることもできませんから、何もないのに信じることは難しいですよと。
真心で祈れば通じます。
そして確信できたら、怖いもの無しの人生になりますよ。