いくら怖いものでも、慣れてしまうと、恐怖を感じなくなります。
新型コロナウイルスに関しても、そうでしょう。
得体が知れないのは、今も変わりません。
特効薬が開発されていないのですから、罹ってしまえば、最悪、死が待っています。
死ななくても、肺炎ですから、苦しいですよ。
恐ろしいものだと頭では分かっていても、慣れてしまい、恐怖感が薄らいできます。
毎日、同じような報道ばかりです。
テレビ局は、インパクトを与えようと工夫しています。
電子顕微鏡でしか見えないウイルスは、本来の色など分かりません。
なのに、おどろおどろしい着色をして、恐怖心を煽っています。
しかし、それを怖いと思うのも、最初の数回だけ。
見慣れてしまえば、日常の風景です。
ワイドショーも報道番組を気取って、コロナの話題ばかりです。
コメンテーターに専門家でもない芸人を起用して、ただ、喚かせています。
これは、毒でしかありません。
それも、わめき続けるのを見ている内に、日常になってしまい、怖くなくなります。
さらに、身の回りに感染者が一人もいなければ、全くの他人事でしょう。
慣れが侮りに繋がります。
気が緩んでしまうのです。
禅の修行で、最も嫌うのが、慣れです。
慣れは、いかに恐ろしいものか。
慣れのせいで侮り、命を落とす事態になることもあります。
今一度、気持ちを引き締めましょう。
遊びに行きたいのを我慢することは、荒魂磨きの修行です。
家族が仲良くするのは、和魂磨きの修行です。
「コロナ離婚」、「家庭内別居」 に、なりませんように。
与えられた時間で、様々な考えを巡らせることは、奇魂磨きの修行です。
時間を取って、日本国民の幸せ、人類の幸せを祈るのは、幸魂磨きの修行です。
このように、修行の機会を与えて頂いたのですから、素直に受け止め、御魂磨きに励みましょう。
侮るなかれ。