幸せか不幸かは、その人がどう感じているかです。
物質的にも精神的にも恵まれていたとしても、それが、その人にとって当たり前の状態だったら、幸せと感じません。
満腹の時に御馳走を差し出されても有り難くないし、ものすごく喉が乾いていたら、コップ一杯の水を、とても美味しく感じます。
このことから、あなたが幸せを感じたければ、不幸を感じるような状況に陥ればいい、ということになります。
サインカーブの振幅が大きいイメージで、人生の浮き沈みが激しかったら、「浮き」の時には至福に浸れます。
その代わり、次の「沈み」の時期は、地獄の苦しみですが。
今世を終える時に「浮き」だったら、楽しい人生だったと満足できると思います。
とはいえ、積極的に不幸にはなりたくありません。
不幸になるのだと決めて、働きもせずに贅沢三昧の日々を送れば、資産を使い果たし、健康を損ない、一家離散の憂き目にあいます。
念願の不幸です。
この場合、復活は、ほぼ不可能でしょう。
「沈み」の時期は、積極的にチャレンジして失敗した結果のものであるべきです。
この場合、経験や知識が残ります。
年間50本のホームランを打つ選手は、500回以上打席に立っています。
超一流のホームランバッターでも、10回に1回も、ホームランは打てません。
人生も、似たようなものです。
望月俊孝さんは、成功か失敗かの道ではなく、成功は失敗の向こうにあるのだと、おっしゃっています。
失敗するのは、当たり前。
失敗しても諦めずに進んでいけば、その先に成功がある、と言われるのです。
その通りでしょう。
失敗続きの日々は、不幸でしょう。
しかし、その先に成功があります。
失敗の日々が辛ければ辛いほど、成功した時の幸福感は大きいものでしょう。
「でしょう」というのは、失敗を不幸と感じるのも、成功を幸福と感じるのも、主観的なものだからです。
不幸な状況を楽しんでいる人がいますし、成功を当然のことと考えて喜ばない人もいます。
できることなら、豊かな感情で、幸不幸をを強く感じ、ダイナミックな人生でありたいと思います。