mitsuha-1625さん、コメントありがとうございます。
自分や家族、大切な人に仇為した人を許すことは、簡単ではありませんよね。
その相手が、自分より幸せそうだったら、なおさらです。
「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出しなさい」 とイエス・キリストが説いたのは、2000年も前です。
2000年経っても、左の頬を喜んで差し出す人なんていないでしょう。
敬虔な信者でも、「聖書に書いてあるから」、「キリストの教えだから」 と、しぶしぶ差し出しているだけです。
心の中は、怒りと葛藤で満たされていることでしょう。
私自身は、その日のうちに「何のために、それが起きたのか」 を考え抜いて、答えを探ります。
出た答えが納得できなければ、翌日、翌々日と、探ります。
そうしていると、怒りは収まっていきます。
そうしないで、やられたことを反芻していると、怒りから憎しみ、怨みに進んでしまいます。
そうなると、数十年経っても蘇ってくる、大きな御魂の傷になってしまいます。
私自身、過去の全てを許しているわけではありません。
許し難い出来事が、沢山ありましたから。
今は一つずつ、細かく、理性で分析しています。
いつまでかかるか分かりませんが、自分の幸せのために、処理してしまう必要があるのです。
まとめて全部許せたら楽だろうな、と思いますけどね、なかなか、難しいです。
どうしても無理だと思っても、投げ出さないで下さい。
守護霊や産土神に、愚痴を聞いてもらいましょう。
しつこく、何度も祈っていると、答えを頂けますよ。
怒りや憎しみなどは、病気や事故を引き寄せます。
不運、不幸を引き寄せてしまいます。
何の利益にもならない重荷を背負ったまま、人生を歩んでいるのです。
その重荷のせいで、楽しめるはずの物事が楽しめず、到達できはずの地点にも到達できない。
馬鹿馬鹿しいとは、思いませんか。
仇為した相手は幸せそうにしているのに、自分は不幸を感じているのは、理不尽ですよね。
守護霊や産土神と共に、解決していきましょう。
彼・彼女らは、100パーセント味方です。
自力だけで頑張らずに、半分、助けてもらいましょう。