今まで失敗続きだった方は、「何のために」上手くいかなかったかを、考えてみてください。
それには、上手くいかなかったことで得たものを、思い返すと良いでしょう。
例えば、神仏に半分頼ることを覚えた。
祝詞を覚えた。
初めて、正式参拝をした。
神様の名前を覚えた。
仏様の真言を覚えた。
本を大量に読むようになった。
即断、即決、即実行を心がけて、直感を磨くようになった。
瞑想をするようになった。
など、これ以外のことも、たくさんあるでしょう。
成功して、スイスイ行っていれば、こういうものを知ることなく、人生を終えていきます。
失敗した時こそ、新たな学びのチャンスだったわけです。
また、一つの技を駆使して上手く行っても、それがいつでも成功につながるわけではなかったでしょう。
技の精度を上げていくことも、また、学びだったはずです。
失敗の多い人は、チャレンジ精神がある限り、多くを学び、体験することができます。
よく、「努力の方向性が間違っていると、いつまで経っても成功できない」と言われます。
しかし、方向性が正しいか間違っているかなんて、わかりません。
失敗続きのとき、間違った努力かもしれませんし、あと一回、もうひと頑張りしたら壁を破ることができるかもしれません。
方向性がどうのこうのと言えるのは、成功した人です。
ですから、このまま努力し続けていていいのかどうかなどと、考えないでください。
直感に従って、続けるなら続ける、やめるなら、キッパリやめて別の道を行けば良いのです。
「正しいかどうか」よりも、「楽しいかどうか」、「ワクワクするかどうか」を判断の基準にしましょう。
それで成功したら嬉しいし、失敗しても、学びがあります。