神社参拝でも、神棚や守護霊に対する祈りでも、墓参りでも、感謝の祈りから始めるのが礼儀です。
参拝の仕方については、いろいろなところで取り上げられていますから、多くの方が知っていると思います。
挨拶をして、名乗って、感謝して、そして願い事をするのが、通常です。
知らない人は、願い事だけします。
当たり前ですが、それでは願いは叶いません。
そのような人は論外として、ここでは感謝の祈りについて取り上げます。
まず、感謝の祈りをしなければならないからするという人や、した方がいいと言われるからするという人は、願いこどは叶わないでしょう。
形だけの感謝ですから。
あなたが誰かを助けてあげた時、口先だけで感謝されたら、どうでしょう。
心ではちっとも有難いと思っていないのに、「ありがとうございます」と言われたら、それは本心ではないということが、何となく分かるのではないでしょうか。
それは神様だって、分かるはずです。
そうは言っても、祈りの度に心から感謝するのは、難しいものです。
平穏無事な日々を過ごしていたら、それが当たり前になり、守護されている実感がありませんから、感謝の祈りに心はこもりません。
感情が伴わないのです。
危機一髪のところを助かった、危うく命を落とすところだった、みたいなことの直後でもない限り、心から感謝するのは難しいのです。
多くの人にとって、安心安全で、昨日と同じ平穏な1日を過ごせることが、当たり前になっいます。
当たり前のことは、実は、当たり前ではないのだと分かれば、感謝の気持ちが湧いてきます。
災害や事故を体験された方なら、理解できるでしょう。
その朝、昨日と同じように起床して1日が始まったけれど、その夜は、もう、昨日と全く違う、不幸のどん底にあるのです。
当たり前にあると思っていることは、当たり前ではなく、微妙なバランスの上に成り立っている奇跡なのだと、気づいてください。
朝、目覚めないまま、あの世に帰ってしまう人もいます。
目覚めたのは奇跡だ、などと大袈裟なことは言いませんが、100%当たり前というものではないのです。
物事全て、そうなのです。
一個ずつ検証していけば、自然に感謝の気持ちが湧いてきます。
一度、時間をとって考えてみてください。
そうすれば、形だけだった感謝の祈りが、心から感謝を捧げる祈りになりますよ。